人馬一体ならぬ“人車一体”――。
東京パラリンピック自転車競技の日本代表、藤田征樹(36)の走りを間近で見ながら浮かんだ言葉だ。
実は、あながち比喩でもない。両足に装着した競技用義足の先端が、自転車のペダル部分に直接カチャリとはまる構造になっているのだ。
滑るように高速でバンクを進む車体は、藤田というエンジンを積んだモーターバイクのようにも見えてくる。
トライアスロンに挑み始めた大学2年の春、事故で両足切断
藤田は、2004年の夏、帰省先の北海道稚内市で交通事故に巻き込まれ、両足のひざ下を失った。
当時は大学2年生。同年春、トライアスロンのサークルに入り、競技に挑み始めた矢先の出来事だった。
非情な現実に直面したときの心の動きを、こう振り返る。
「オン・オフという感じで切り替えられたわけじゃない。落ち込んだこともたくさんあったし……。大きな事故で、生き死ににかかわる大ケガをして。幸い、こうして生きていますけど、そこで(トライアスロンを)辞めるのが悔しいなって思ったんです。仲間といっしょにやって、それが楽しくて、目標があって、これからというとき。やっぱりもう一回走りたい、また自転車に乗れるようになりたいと思いました。本当に大変なところから、もう一回、前を向こうって勝手に思っちゃった原動力はそこだったんじゃないかな」
「できんじゃねえか?」決意したら一直線
悲嘆を振り払い、早い段階で未来志向に転じた。
「お医者さんから『義足は進歩してきているから、うまくいけば歩けるようになるかもしれないよ』という言葉をいただいて。あと、ケガをする少し前に、偶然なんですけど、義足のトライアスロン選手が“片足の鉄人”として取り上げられているドキュメンタリー番組を見てたんですよ。それを思い出して、『あれ? できんじゃねえか』って」
藤田は、自他ともに認める頑固者だ。「言われたことをそのままやるのは嫌い」と断言するが、納得したうえで決めたことはとことんやり抜く。再び風を切って走れるようになる。そう決めたら一直線。リハビリ、義足を着けてのトレーニングに懸命に取り組んだ。