世の新刊書評欄では取り上げられない、5年前・10年前の傑作、あるいはスルーされてしまった傑作から、徹夜必至の面白本を、熱くお勧めします。
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『天涯の砦』の序盤、船が轟音とともに揺れた直後、乗客はドアにこんな文字が表示されているのを目にする――“このドアの向こうは真空です”。
これほど絶望的で恐ろしい文字列があるだろうか。狭い船室から脱出したくとも、ドアを開ければ一〇〇%の死が待っているのだから。
『天涯の砦』は、事故で破壊された宇宙ステーションに閉じ込められた十人の生存者(子供も二人)が、何とか生きのび、地球に帰還しようとするサスペンスなのである。
つまりSF小説なのだが、現在と大きくかけ離れたものは登場しない。技術の発展によって宇宙旅行が容易になり、地球と月の間に手軽な宇宙リゾートのような施設が誕生、そこで大事故が発生する。映画《ポセイドン・アドベンチャー》や《タワーリング・インフェルノ》のような物語なのだが、苛酷さはSF的設定によって激増している。水や火ならかいくぐれるかもしれないが、真空は違う。船やビルなら外に出さえすればいいが、宇宙では帰るべき地球も月も絶望的に遠いのだ。
生存者たちはあちこちの気密空間に閉じ込められている。彼らをどう集めるか。生存者がいることを外界に伝える方法は。そして何より、どうやって脱出し、帰還するか。生存者たちは己の知恵を絞って、真空の宇宙空間という強大な敵を打ち負かさなければならない。著者・小川一水は膨大な科学的/工学的アイデアを惜しみなく注ぎ込んでいるから、全ページに知的興奮が詰まっていると言っていい。
定番のパニック物が、舞台の更新によって猛烈にスリリングなものになり、史上もっとも苛酷なパニック・スリラーが誕生したのだ。(紺)