世の新刊書評欄では取り上げられない、5年前・10年前の傑作、あるいはスルーされてしまった傑作から、徹夜必至の面白本を、熱くお勧めします。
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映画『アマデウス』に代表されるような、努力家の優等生が天才を妬む物語はよくある。では、天才は嫉妬と無縁なのだろうか。いや、超一流の才能は超一流の才能に嫉妬する。山本兼一『花鳥の夢』は、そんな感情に身悶えし続けた男の物語だ。
安土桃山時代に生きた狩野永徳は、画壇の名門・狩野派の四代目である。公卿も武将もこぞって彼に絵を依頼する。決して彼は家柄にあぐらをかいた存在ではない。彼の強烈なまでの自負は、祖父・元信譲りの類稀(たぐいまれ)な画才に裏打ちされている。型通りな絵しか描けない父・松栄など彼の眼中にはない。
そんな彼の前に、もうひとりの天才が登場する。能登からやってきた長谷川信春、のちの等伯だ。永徳には信春の非凡な資質がはっきりと見える。だが、それは狩野派の権威を脅かすタイプの才能だ。永徳の嫉妬は、周囲からは理解できないほどの過激な怒りとなって噴出する。
信春のように市井で生きることを許されず、狩野一門を統率する棟梁の立場に呪縛されたこと。それが永徳の悲劇だったのかも知れない。至高の画境を追い求める永徳は、時に依頼主の心情を考慮しない独善に迷い込むが、寸鉄の如く彼を自省に至らせるのが周囲からの率直な評価だ。織田信長や豊臣秀吉といった天下人のみならず、凡庸な父もまた、永徳の姿を客観的に映す鏡である。
朝廷の有力者に手を回して信春から仕事を奪う策謀も辞さない一方、秀吉に注文された大量の絵を短期間で仕上げるような大仕事に疲弊してゆく永徳は、人生に残された僅かな時間で、ようやく入神の境地に至る。芸術に生きる者の、武将顔負けの修羅の生涯を描ききった壮絶な小説だ。(百)