「1987年にはじめて伊藤若冲について生涯と作品とを概観する小冊子(至文堂刊)を執筆したさいには、若冲の描いた絵やその研究について、自分はほぼすべて把握したつもりでした。ところがこの30年の間に、若冲を研究する新しい人も、発見された作品も増えて、その全貌がわからなくなってきました。それで、いまの研究でどこまでわかったのか、見通すために執筆したんです」
江戸時代のなかば、18世紀の京都で活躍した若冲は、2016年の東京での展覧会が入場5時間待ちとなるなど、現代では大人気の画家だ。その評伝である本書を刊行した佐藤康宏さんは、日本近世絵画、とくに若冲研究の第一人者のひとり。本書の帯に書かれた、いまでは若冲の言として有名な「私の画の価値がわかる者を千年待つ(千載具眼の徒を竢[ま]つ)」は、佐藤さんがはじめて世に紹介したという。いかにも「孤高」の芸術家のようだが。
「当時、絵を描く絹の寿命は千年程度と考えられていました。つまり、当時の人々にとって千年というのは、永遠と同じ意味だったんです。自分の絵を永遠に見てもらいたい、ということですね。といっても、若冲は当時も人気のある画家でした。
若冲は独創的なので孤立した存在のように思われがちですが、狩野(かのう)派など伝統的な絵画の技法だけでなく、長崎から入ってきた中国の禅の教えや画法など、当時の人々が触れることのできる最新の文化を吸収して、最先端の芸術の課題に取り組んでいた画家です。若冲は、池大雅や与謝蕪村(よさぶそん)らとともに当時の美術の世界の中心のひとりだったのです。異端かどうかでいえば、現代では日本美術の中心と思われている円山応挙(まるやまおうきょ)のほうが、よほど革新的な存在だったんですよ」