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「イスラム国」(IS)の性奴隷にされたヤジド教徒の女性が語る「あの連中は悪魔だったのか」

ある日突然、黒い旗を掲げ武装した男たちの一団が押しかけてきた

2021/09/19
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『救出者』の助けを借りて母の待つ難民キャンプに辿り着く

 米軍がイラク正規軍やペシュメルガと進めるIS掃討作戦も激しさを増していた。モスルで米軍の空爆を目の当たりにした。本妻を持つ4人目の「主人」宅にいる晩だった。

「激しい振動と爆撃音で夜半に目が覚めた。本妻と共に翌日、買い物のため街に出ると、同胞も含めた多数の市民の遺体を目にした」

 幽閉から逃れ、人質生活に終止符を打ったのは16年1月だった。隠し持っていた携帯電話で、母サムスーン(42)とようやく連絡が取れた。「主人」や家族が昼寝をしている時だった。母はシリアで人質生活を送っていたが、同胞の手を借りて脱出、同じくISの手を逃れた妹や弟と共にクルド自治区ドホーク郊外の難民キャンプで暮らしていた。母は泣きながら励ましてくれ、逃走の段取りを指南してくれた。

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「希望を持たせられなくてごめんね」

「ヤジド教徒の『救出者』に頼むしかない」

「主人」が早朝に戦闘に出掛け、家族が寝ている隙を見て逃げ、母が手配した同胞のタクシーに乗り込んだ。野菜を詰めた黒いポリ袋を目印にして運転手に拾ってもらった。途中で車を降り、冬の冷たい雨の中、2日間土漠地帯を歩いて母らと難民キャンプで合流した。母とは時間を忘れるほど抱き合い、その晩は、母の手料理でチキンやサラダをご馳走してもらった。懐かしい家庭の味だった。

戦火から逃れてきたヤジド教徒の人たちが暮らす避難民キャンプ=2016年4月、イラク北部クルド自治区ドホーク郊外 ©共同通信/村山幸親

「左足を痛めていたが、ようやく再会できた喜びが勝った」

 だがそこには、父と3人の兄弟の姿はなかった。

自分は助かったが家族や多くの同胞は未だ…

 自責の念にかられ、ふさぎ込んだり、急に怒りだしたりすることが多くなった。

「自分だけが助かってしまった」

「多くの同胞はまだ捕らわれている」

「私は生きる価値がない」

 母も、まな娘の異変に気が付いていた。

「あれだけ明るかった子が変わってしまった」

 中東では女性の純潔が尊ばれる。なかでも少数派のヤジド教は純粋な血統を固く守り、レイプされた被害女性には厳しい視線が送られる。そんな保守的なヤジド教徒の最高聖職者が、ISの手で性奴隷にされる女性が相次ぐ状況を受け16年2月、異例の声明を出した。

「ISに迫害された女性や子供も同胞だ。寄り添い、救いの手を差し伸べるのが私たちの責務だ」

 イラクだけで60万人いるとされ、イランやトルコ、シリア、アルメニアなどにも暮らすヤジド教徒たちに共感が広がり、被害者の望みにもつながった。

 再会後ほどなくナスリーンは母と共に、ヤジド教の聖地ラリッシュを訪ねた。峡谷から湧き出る水で身を清め、祈った。

「同胞や家族が無事戻ってきますように」

ヤジド教徒の聖地ラリシュの寺院で新年を祝う信者たち。ヤジドの信仰では、火は聖なるものとして祭られている=2016年4月、イラク北部クルド自治区 ©共同通信/村山幸親

 ISを「解放者」として受け入れたスンニ派住民もいるシンジャール中心部は、ペシュメルガが15年11月にISから奪還したが、街は破壊し尽くされた。米国が「正義」の実現を訴えて始めた対テロ戦争の最前線では、過激派組織が一時台頭、少数派は迫害され、故郷はずたずたにされた。

 25歳になったナスリーンは母と弟と共に欧州に渡り、新たな人生を歩み始めた。

「イスラム国」(IS)の性奴隷にされたヤジド教徒の女性が語る「あの連中は悪魔だったのか」

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