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 もちろん、ネット版記事はアップされると即座に削除され、雑誌も出版封鎖警告を受けたのですが、タッチの差でその記事は、自動的にスクリーンショットをとって拡散する「ネットワーム」と呼ばれるシステムで、多くの微信アカウントで同時に発信され、グレートファイヤーウォールを乗り越えて海外のプラットフォームにも張り付けられて、世界中に拡散されていったのです。

 ネット警察は当時、インターネット管理当局と公安局の国内安全保衛総隊(国保)と連携して、2011年の『ジャスミンネット革命』のときに行なった複数の集会現場での同時ガサ入れ逮捕と同様の猛烈な取り締まりをしたのですが、それでもこの記事は次々と拡散されて、その拡散スピードはウイルスの100倍、あるいはネット警察の10000倍は速かったですね。

 削除されないように、英語やドイツ語、日本語、韓国語など40か国語の自動翻訳版も拡散されましたし、変形漢字の篆文や文語体や西夏文字のフォント版なんかも出回りました。この現象は、この世界の悲劇的災難の中で、唯一大爆笑できる事件だったと思います。

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「失踪人民共和国」の恐怖

――『武漢病毒襲来』の中では、いくつか詩が登場しますね。こうした詩は実際に武漢の都市封鎖中、中国のインターネット空間に流れたもので、その詩の題材も、ネットのSNSで書き込まれた庶民の嘆きや訴えでした。小説の最後の方に引用された「マリリンモンロー」こと張文芳の書いた詩『武漢挽歌』は胸に刺さりました。

 家族に感染させるのが嫌で自殺した人、仕事を失って自殺した人、息子を入院させるために何日も病院前に並ぶ老人、出稼ぎ家庭で祖父と5歳の孫が取り残され、トイレで死亡した祖父の遺体に布団を掛けて幼い子供が5日間も寄り添っていたという話。そんな庶民が直面した40以上の悲劇が詩の形式で描写されています。

武漢病毒襲来』(文藝春秋)

 日本も今年の夏は医療崩壊がおきて、たくさんの悲劇が起きました。ですがその何倍、何十倍もの悲劇が武漢で起きて、そしてそのことを詩にして表現すれば、デマを流したとして警察に逮捕される悲劇もあったわけです。張文芳はその後、どうなりましたか。

廖 張文芳の『武漢挽歌』は、その一行一行が、武漢ウイルスのアウトブレーク時に起きた惨劇を描写しています。ネット上で発表されてすぐ、彼女は秘密裡に逮捕されました。懲役6か月の判決を受けて服役しました。当時、彼女がそんな目にあっていたとは誰もしりませんでした。私は彼女の詩の小説での引用了承を得ようと、武漢の友人を通じて彼女と連絡を取ろうとしましたが果たせず、今年2月に、彼女の判決書の写真がツイッターに流れて、ようやく服役中であることがわかりました。今もって誰も張文芳とコンタクトが取れない状況です。

 これも一つの「失踪人民共和国」です。中国では、短時間の失踪も、長期の失踪も、永遠の失踪もあります。「失踪させられる」のです。恐ろしいのは現在中国十数億人の中で、一部の人たちやとある個人が忽然と姿を消すことに、だんだん慣れてきてしまっていることです。