理屈ではなく衝動
プロ4年目に肘を故障したが、腕を振ることさえできれば、川崎は痛みを抱えながらでも投げることができた。スポットライトの下でなら壊れたっていいと思っていた。
理屈ではなく衝動で投げる。川崎はそういうピッチャーだった。
そんな自分が3年間も投げられずにいる。光の当たらない舞台の片隅でうずくまっている。時折、そのもどかしさに耐えられなくなった。
右肩を壊してから、考えられることは何でもやった。別府の電気治療院には何度通ったか知れない。だが、高校野球のエースだった時代からたいていの怪我を治してくれたはずの先生も、この肩の痛みについては首を傾げてしまった。効果があると聞けば、わずかな可能性にかけて非科学治療にも足を運んだ。最後は気功師や霊媒師にも縋った。
それでも右肩は思うように動いてくれなかった。服を着替えることさえままならず、風呂では左手だけで体を洗わなければならなかった。出口の見えない闇の中で、やがて川崎はこう思うようになった。
あと足りないものがあるとすれば、それは一軍のマウンドではないだろうか……。二軍では心に火がつかない。だから……あのスポットライトさえ浴びれば、川崎憲次郎という投手も、この肩も、悪夢から覚めるように劇的に元に戻るのではないだろうか。
誰にも言えない願望を秘めていた川崎にとって、落合の言葉はじつは待ち望んでいたものだった。
「開幕投手はお前でいく──」
まるで川崎の心を見透かしたようだった。
車はやがて細い路地へと入った。街路樹の枯れた冬景色の中にナゴヤ球場の古びた外観が現れた。鈍色の空を背景にしたその寂しい光景すら、今は明るく見えた。
そういえば、落合が電話の最後に付け加えたことがあった。
「ああ、それからな……」とさりげなく言った。
「これは俺とお前だけしか知らないから。誰にも言うな。母ちゃんにだけは言ってもいいぞ」
「母ちゃん」とは妻のことだ。落合は昔からそういう言い回しをする。それは知っていたが、最後の言葉が何を意図しているのかは、やはり読めなかった。
【前編を読む】「2004年の開幕投手はお前でいくから」落合新監督が“不良債権”と呼ばれた選手に告げた“驚きの言葉”
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