日刊スポーツ新聞社、Number編集部を経て、現在フリーライターとして活躍する鈴木忠平氏の著書『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)が、野球ファンの間で大きな話題を呼んでいる。
現場で実際に取材を重ねてきたからこそわかる落合氏の姿とは……。ここでは同書の一部を抜粋し、在りし日の森野将彦にまつわるエピソードを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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プロ9年目の選手への激しいしごき
まったく……ふざけんなよ。
酸素が欠乏していく頭の中で、森野将彦は毒づいた。
ゲーム開始までまだ4時間近くもある。投手も野手も肩慣らしをしている時分だというのに、自分だけがゼエゼエと息を切らし、汗を滴らせている。左右に放たれる白球を猟犬のように追いかけ、レフトとライトの間を何度も往復している。
このアメリカンノックは若い選手をしごくための体力強化メニューであると同時に、廊下に立たされるような意味合いもある。2005年シーズンの森野にとって、それが試合前の日課のようになっていた。
たしかに森野は控え選手だった。試合になればグラウンドに立っているよりベンチに座っている時間のほうが長い。それでも、プロ9年目で27歳になる自分が、まるで青二才の新人のように扱われることが不満だった。
一体、何のつもりなんだ。
矛先はノックを打っているコーチではなく、それを指示した監督の落合博満に向けられていた。
豹変した落合監督
落合は監督2年目になって豹変した。少なくとも森野の目にはそう映っていた。
就任初年度の2004年は自らの考えを言葉にして選手に伝えていた。ベンチの中で笑ったり、しかめっ面をしたり、感情を表現することもあった。球団史上初めて監督1年目でのリーグ優勝を果たし、胴上げされた瞬間には目頭を押さえるシーンもあった。
そうした言動から、選手たちは落合の体温を感じ取っていた。すべてをわかり合うことはなくとも、同じものを胸に抱いて戦っているのだと実感することができた。
ただ、その年の日本シリーズで西武ライオンズに3勝4敗で敗れ、日本一を逃した瞬間から、落合は急速に選手たちから遠ざかっていった。
指示はすべてコーチを介して出すようになり、ゲーム中はベンチの一番左端に座したまま、ほとんど動かなくなった。そこで首をやや左に傾げた姿勢のまま、じっと戦況を見つめるだけになった。その顔から心の温度は読み取れず、微動だにしない表情の中に、ただ二つの眼だけが光っていた。