ルーキーイヤーの1997年に中日ドラゴンズでは、立浪和義以来の高卒新人内野手による本塁打を記録。森野将彦はプロスペクトとして周囲から将来を嘱望される選手だった。

 しかし、その後の彼は伸び悩み、控え選手としてベンチをあたためる日々が続く。才能は間違いない。しかし、なかなか芽が出てこない……。そんな選手を落合監督はどのように見守っていたのだろうか。ここでは、フリーライターの鈴木忠平氏の著書『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)の一部を抜粋。落合博満の“オレ流”指導について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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落合が番記者にかけた言葉

 まだ夏前なのに、ドーム内の空気はじっとりとしていた。おそらく空調も休みをとっているのだろう。私はシャツの袖を肘まで捲り上げた。

 そのときふと、弛緩していたはずの空気がザワザワと騒ぎ、急速に張りつめていくのを感じた。ベンチ裏から突然、落合が現れたのだ。

 落合はゲームのない日はほとんど球場に来なかったが、時折、こうしてフラッと現れることがあった。

 落合はグラウンドに出てくると、周りの人間が視界に入っていないかのように内野を突っ切って外野へと歩いた。そこで投手コーチと立ったまま何やら話し込んだ。そして、それを終えると再びベンチのほうへと戻ってきた。場の空気が緊張していた。沈黙のなかにバッターたちの打球音だけが響いていた。選手もスタッフも皆、自らの仕事をこなしながら、予期せず登場した指揮官の一挙一動を横目で追っていた。

 1年目のシーズンが終わってから、落合はこのように内部の人間でさえ寄せつけない雰囲気を纏うようになった。仲良しごっこは終わりだとでも言うように、誰に対しても距離を置くようになった。

落合博満監督 ©文藝春秋

 番記者たちは、こういうときの落合には話しかけても無駄だとわかっていた。

「きょうは休みだ」

 何を訊いても、素気なくそう返されるのがオチなのだ。

 だから黙って、落合がベンチ裏へ姿を消すのを見送ればいい──私もそう考えていた。

 ところが、落合はベンチの前まで来ると、くるっと向きを変えてカメラマン席のほうへやってきた。そして私の隣までくると、私と同じようにラバーフェンスに背をもたせかけた。

「ここで何を見てんだ?」

 落合は私を見て、そう問いかけた。

 私は咄嗟に言葉が見つからず、「え……、あ、バッティングを……」と返答にもならない返答をした。

 末席の記者がチームの監督と一対一で向き合って話す機会はほとんどない。少なくともこれまではそうだった。あの最初の朝も、私はただ伝書鳩を演じただけだった。

 だから突然、落合が隣にやってきたことに、私の頭の中は真っ白になっていた。

 落合は私の動揺など気にもしていないかのように言った。