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一流のその先へ…“カープの背番号1”鈴木誠也と前田智徳の共通点

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/09/22

 2016年。25年ぶりのリーグ優勝を果たしたカープは日本シリーズの舞台に立っていた。2勝3敗で迎えた第6戦。日本一になるためにも、そして翌日に「現役最終登板」を控えていた黒田の勇姿を見るためにも、絶対に落とせない戦い。私は現地で観戦し、夢の舞台で戦うカープを応援していた。

 野球というのは、なぜこうも神様にイタズラをされてしまうのか。8回表、満塁の場面。日本ハム、レアードから勝ち越し満塁ホームランが飛び出す。すべてのカープファンの願いを打ち砕いた一発。結局、王手をかけていた日本ハムが日本一となり、広島で、あろうことかカープの本拠地で栗山監督が胴上げされた。多くのファンが試合終盤に帰路についたが、私は現実を直視すべく最後までその光景を見た。いや、必死で目に焼き付けた。

 すべての戦いが終了。目指していた日本一という「栄冠」が手からこぼれ落ち、心にぽっかりと穴が開いたような気分になりながら、重い足取りで出口へと向かった。すると、最後の階段をおりかけたとき、ある音が。カーン。カーン。響き渡る打球音。誰だ? 階段の右側には室内練習場。シートで覆われていてほとんど中が見えない状態だが、どこからともなく「誠也じゃ!」「誠也が練習しよる!」という声が聞こえた。いま試合が終わったばかりなのに。日本一を逃したのに。さらに言えば、今シーズンはもう試合が無いのに。私はその姿勢に感動した。ファンである自分が下を向いているのに選手、しかも若き主砲が上を向いている。俺はなにを落ち込んでいるんだ。少し恥ずかしいような、そんな気持ちになった。

 後日、誠也はその日を振り返り「来シーズンにもういかないといけないっていう、そういう気持ちからやっていました」「自分に対してイライラしていたのもあったので、その悔しさをいまぶつけてやろうと思ってやっていました」と語った。嬉しかった。誇らしかった。カープファンとして、いや、ある意味では男として心が震え、涙が出た。日本一は逃したけど、なにか誠也から大切なものを学んだような、そして「鈴木誠也」という選手のスケールを肌で感じたような気がしたのだ。コイツはまだまだ伸びる。大丈夫だ。誠也がカープにいてくれれば大丈夫だ。

絶好調の時の誠也には独特の「オーラ」がある

 あれから5年。誠也はセ・リーグを代表するバッターとなり、東京オリンピックでは侍ジャパンの4番という重責を担った。シーズン前半戦こそ‪コロナの影響などで思うような結果が出ないこともあったが、8月あたりから徐々に調子を取り戻し、9月3日のヤクルト戦で待望の一発。山本浩二、衣笠祥雄、金本知憲、江藤智に次ぐ「6年連続20号」を達成し、今季6度目の猛打賞で打率を3割に乗せる。さらにそこから6日後の9月9日には6試合連続のホームランを放って球団記録に並んだ。この記録は東京のスポーツ新聞の1面をもジャック。カープが東京のスポーツ新聞の1面になるなんて、いつ以来だ? 結局、王さん、バースの持つ7試合連続には届かなかったが、誠也の覚醒ぶりは火を見るより明らかだった。そうなんだよ。これなんだよ。みんながこの誠也を待っていたんだよ!‬‬‬‬‬

鈴木誠也

 同じことを思っている方も多いかもしれないが、絶好調の時の誠也には独特の、誰が見ても明らかというような「オーラ」があると思う。なんと言えばいいのか、冷静を通り越し、まるで無感情のような感じ。淡々とした表情で打席に立っていることが多い。たとえば、いいコースに来たボールを見逃しても「それで?」。なにひとつ気にするような素ぶりを見せず、表情も変えずに次の球を待つ。やがて狙いすましたかのように、ひと振り。今度は凄まじい打球がスタンドに吸い込まれてホームラン。さすがに喜ぶかと思いきや、この時も冷静。ガッツポーズをするわけでもなければ笑顔を見せるわけでもない。ごく当たり前の仕事をしたかのような表情でダイヤモンドを一周してベンチに戻り、ミートした箇所を確認するかのようにバットを斜めにして眺める。そういう誠也、皆さんのイメージにもありませんか?

 思うに、誠也はすでに「一流」ではなく「一流+α」、達観の境地に達したのではないか。私にはそう思えて仕方がない。打った。ホームラン。わーい。そんな次元ではなく、もはや仕留めるべき球を仕留めるのは当たり前、そういう時には特に感情というものが出ない。しかもその打球の質が、とんでもなく高かったりする。自分はそれを勝手に「誠也無双」などと呼んでいるが、誠也は、調子がいい時になればなるほど、そのようにして感情をアピールしなくなるような気がするのだ。ズバリ、ただものではないのだ。