粘り強い打撃、華麗なコンビネーションの守備……。中日ドラゴンズの黄金期を支えた“アライバ・コンビ”は、野球ファンから高い評価を受け、球界最高の二遊間と称されることも珍しくない名コンビだ。しかし、当の荒木雅博はパートナーである井端弘和に対して“コンプレックス”を抱え続けていたという。

 荒木がコンプレックスを抱いていた理由、そして、そんな荒木を解放した落合博満からの言葉とは。ここでは、長年野球記者として活躍する鈴木忠平氏の著書『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)の一部を抜粋。落合政権を取材し続けた番記者だからこそ聞けた当時のエピソードを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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落合退任発表翌日、2011年9月23日ヤクルト対中日戦

 荒木は二塁ベース上から、マウンドの向こうに見えるホームベースを見つめていた。

 いつもは果てしなく感じる本塁への距離が、なぜかすぐそこであるように感じられた。どことなくいつもの自分ではないようだった──。

 2011年9月23日、落合の退任が発表された翌日、首位ヤクルトとそれを追う中日との天王山は、同点のまま八回裏を迎えていた。

 中日はツーアウトから一番の荒木がレフト線へツーベースを放った。リーグ屈指の足を誇るトップバッターがスコアリングポジションに立ったことで、ゲームは一気に張り詰めた。

 ワンヒットでホームを踏むか。阻止するか。両チームの駆け引きが動き出した。

 ヤクルトは外野を極端に前進させた。とりわけセンターの青木宣親は二塁ベースのすぐ後方まで出てきていた。外野手の頭上を越されるリスクを背負っても、次の1点を与えないという意思表示だった。この守備隊形を見れば、どれだけ足に覚えのあるランナーでも、シングルヒットでホームへ還るのは不可能だと感じるだろう。

 ところが塁上からその様子を見ていた荒木には、まるで不安がなかった。成否の境にいるとき、決まって襲ってくる中腹部の痛みも消えていた。自分でも説明がつかないその感覚が生まれたのは前日のことだった。落合がチームを去るとわかった瞬間に、胸の中で静かに爆ぜたものがあった。

荒木雅博氏 ©文藝春秋

 前日、ヤクルトとの首位攻防第1ラウンドが始まる3時間前に、球団は落合の退任を発表した。記者会見を終えた球団代表の佐藤はその足で、選手やスタッフに監督交代についての説明をしようとした。

 だが落合はロッカールームへの立ち入りを拒否した。そして自らは去就について一切触れることなく、何事もなかったように試合前のミーティングを終え、いつものようにプレーボールを迎えた。荒木にはそれが無言のメッセージのように思えた。

 監督が誰であろうと何も変わらない。それぞれの仕事をするだけだ。