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2021/10/12

source : 週刊文春出版部

genre : エンタメ, スポーツ, 読書

 はるか遠くから、この組織の穴を探しているような、そんな眼だった。

 選手やスタッフとともに、チームの輪のなかにいたはずの落合が、自ら孤立していった。

 これが本当の落合監督なのかもしれない……。

 森野はそう感じていた。

指揮官の本性

 1年目のシーズンが終わった後、選手たちはこの指揮官の本性を垣間見た。落合は自ら開幕投手に指名した川崎憲次郎をはじめとする13人の選手に戦力外を通告した。その中には森野より後に入団してきた選手や、まだ2年目の選手もいた。

落合博満監督 ©文藝春秋

 毎年、秋に何人かが去っていくこの世界には、「若さは免罪符である」という暗黙の了解があった。入団3年目まではクビを切られることはないと、ほとんどの人間が考えていた。ただ、落合はそんな物差しを持ち合わせていないことを、実行をもって示した。冷徹な戦力の分別は、二軍や一軍半の立場にいる選手たちを戦慄させた。

 そんな空気のなか、中堅クラスに差し掛かろうという森野にも「このままでいいのか」という焦りがなかったわけではなかった。ただ、他の選手に比べるとどこか危機感は希薄だった。

 その原因はおそらくプロで初めて打ったホームランにあった。

 1997年、神奈川の東海大相模高校からドラフト2位で入団した森野は、その年の8月に一軍で初めての先発出場を果たした。

 ナゴヤドームの照明を浴びながら、見上げたマウンドには長身右腕のテリー・ブロスがいた。バッターボックスのすぐ背後にはマスクをかぶった古田敦也がいた。90年代に入って二度の日本一を勝ち取っている常勝ヤクルトの黄金バッテリーだった。

 ついこの間まで高校生だった自分が、テレビ画面の中にいたスター選手たちを相手にしている……。宙に浮くような感覚だったが、不思議と震えはなかった。そして速球を狙って振り出したはずの森野のバットは予期せぬスライダーに対応して、白球をライトスタンドまで飛ばした。

 高校を出たばかりの内野手が最初のシーズンで本塁打を記録したのは、中日において、ミスター・ドラゴンズと呼ばれる立浪和義以来、9年ぶりのことだった。