「日本で一番多い人口の人たちに漫画を見放されたらダメだ」
先生には何回か取材させていただいたが、一番しっかりお話を伺えたのは、「週刊少年マガジン」(講談社)の第3代編集長・内田勝氏のドキュメンタリー番組の構成を手がけた際のことだ。
昭和30年代後期のその当時、小学館の「少年サンデー」が『オバケのQ太郎』(藤子不二雄先生)や『おそ松くん』(赤塚不二夫先生)などの大ヒットを飛ばし、「少年マガジン」は劣勢に立たされていた。起死回生の一打として内田編集長がスカウトしたのが、さいとう先生や水木しげる先生ら“貸本漫画”を活動の主軸としている作家たちだった。
さいとう先生は、「私の言っていることを理解してくれた、ただひとりの人じゃないかな?」と振り返り、次のように続けた。
「私らが掴んだ最初の読者っちゅうのは団塊の世代なんですよ。日本で一番多い人口の。その人たちに漫画を見放されたらダメだ、と。他の編集者は聞きもしなかったですよ。歯牙にもかけないというか。内田さんは私が、どういう風に望んでいるか、狙っているかを話したら真剣に聞いてくれましたね」
さいとう先生は、「マガジン」誌上に宇宙SF作品『サイレントワールド」(’66年)で本格デビュー。続いて時代劇漫画の『無用ノ介』(’67年)が大ヒット。伊吹吾郎主演でTVドラマ化もされ、名実共にメジャー作家に躍り出る。
その後、数々の作品が生み出されてきた。巨人にされた男の数奇な運命と悲劇を描く『デビル・キング』(’69年/貸本時代の未完作だったが後に「少年サンデー」に連載)なども印象に残るが、筆者にとっては大震災後の日本をひとり生き抜く少年・鈴木サトルの姿を描いた『サバイバル』(’76年)が忘れがたい。
また、昭和『仮面ライダー』世代である筆者は、さいとう先生原作の特撮ヒーロー番組『超人バロム・1』(’72年)が大好きだった。仮面ライダーのようにひとりのヒーローが変身するのではなく、主人公二人が合体する特撮ヒーローで、『仮面ライダー』(’71年)の兄弟作ともいうべき名作である。
そのことを先生に話すと、「あれは我ながらよく出来たと思っとる。“男の子二人が合体したら大人の男になる”ってのは、なかなか画期的なアイディアでしょう?」と笑い、「あの二人の少年が成人した後の、『バロム・1』の続編を描きたい」と語られていた。その夢がかなうことはなかったが、まさしく創作への意欲が尽きることのない巨人だった。