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病院の待合室にも置かれた“ヒットマン”ゴルゴ13…作者さいとう・たかをが語った「描きたかったもの」

2021/10/03

『ゴルゴ13』で有名な劇画家・漫画家のさいとう・たかを先生が亡くなった。令和3年9月24日(金)のこと。享年84、死因はすい臓がん。9月に『ゴルゴ13』の単行本第202巻が刊行され、世界記録が更新された直後のことだった。

『ゴルゴ13』の連載は続くそうだが、それもさいとう先生が、劇画・漫画制作の“分業体制”を確立したがゆえのこと。“劇画”という言葉も事実上、さいとう先生の“発明”だった。当時は「お子様ランチ」扱いされていた漫画に対し、よりリアルで大人の鑑賞に耐えうるもの、という意味を込めて劇画としたという。

2017年3月22日、「ゴルゴ13の中堅・中小企業向け海外安全対策マニュアル」発行を発表した当時の岸田文雄外務大臣とさいとう・たかを氏©AFLO

 数名の生え抜きの原作者(脚本家)と、作画担当者の手で同名タイトルの作品の創出が継続していく……というスタイルは、それまでの小説や絵本などのような個人作業に近かった漫画制作をより「工場」化したもので、むしろ映画やテレビドラマに近い作り方だった。

ゴルゴ13×外務省 海外安全対策マニュアル

「絵を描く才能と、ドラマを考える才能は別もんでしょう」

 漫画制作の分業制についてさいとう先生は生前、次のように語っている。

「絵を描く才能と、ドラマを考える才能は別もんでしょう、本来。もちろん持ってる人もいますよ。手塚治虫先生みたいな天才も出てきますけど、いろんな才能を持ち寄ってむしろ総合芸術的に考えた方が、完成度の高い作品ができるはずだということを一生懸命説いてたんです」

 先生は作家であり偉大なる“発明家”でもあった。

 筆者がさいとう先生のお名前を強く意識したのは、やはり『ゴルゴ13』だった。世界最強のスナイパー/ヒットマンであるゴルゴ13、本名と言われている“デューク・東郷”の活躍を描いたこの作品は、もはや人類史上に残る名作のひとつと言って過言ではないだろう。

 幼少時に初体験したそれは、主に散髪店や病院の待合室だった(今にして思えば、病院に殺し屋の漫(劇)画が置いてあったのもすごい)。当時の私はそれこそ4、5歳だったろう。内容は全然解らなかったが、絵とコマ割りの迫力に圧倒されて読み進めていた憶えがある。

 幼心ながらその際、表紙や扉ページに描かれていた“さいとう・たかを”という文字にひときわ目を惹かれた。まず「“を”って?」となり、次に「日本人なのに“・”?」。後に先生から直接、それが“自分の名前を憶えてもらうための作戦のひとつ”だった事実を聞かされ、ひどく感心した。