森のようちえんが現代人のマインドセットを変える!?
環境倫理学者のJ・ベアード・キャリコットは著書『地球の洞察』で、近代西洋的人間中心主義から世界各地の伝統的環境思想をふまえた全体論 (ホーリズム)へのパラダイムシフトの必要性を訴えた。汐見さんが言う、自分のなかの内なる自然が外の自然と共鳴するというのも、近代以降に自然から切り離されていた自分たちをもういちど自然という全体のなかに戻すことだといえる。
もともと明治以前の日本語では、自分と自然が一体化した状態を「自然(じねん)」と呼んだ。だから私たちは、盆栽に宇宙を感じることができる。「古池や蛙飛び込む水の音」と詠むだけで、宇宙の摂理と同化できる。それがいつしか、人間と区別された西洋的な意味での「Nature」を「自然(しぜん)」と呼ぶようになったのだ。
ただし、子どもと自然を命の世界のレベルで出会わせるには、ただ自然のなかに連れて行くだけでは弱い。子どもの中の内なる自然が外なる自然との共鳴を始めたときにまわりの大人がどれだけそれに気づいてやれるかが大きな鍵であることは、海洋生物学者のレイチェル・カーソンが遺作『センス・オブ・ワンダー』で述べたとおり。逆にそういう大人が少なくとも一人、子どもの近くにいるのであれば、都会にある小さな自然のなかでも、出会いは可能だ。
そこで思い出すのが、アメリカのサイエンスライター、エマ・マリスの『「自然」という幻想』。要するに、「手つかずの自然」幻想をやめ、都市部にもある小さな自然を大切にすることから環境保全を考え直そうという提案だ。TED(最新の知見を共有する世界的な講演会)での彼女のプレゼンテーションは、おそらく西洋の自然観にとってはコロンブスの卵とでもいうべき斬新な発想だったはずだ。
いわゆるSDGs 的な課題(図)が西洋発祥の近代合理主義的なマインドセットから生まれたものであるとするならば、これらを解決するにはそれと異なるマインドセットを構築する必要がある。それを可能にするヒントが日本的「森のようちえん」すなわち「里山のようちえん」にあるような気がする。
人類の活動が地球に地質学的な意味での爪痕を残している状況を最近では「人新世」ともいうが、人新世の危機を脱するのに必要なのは、SDGs でもマルクスでもなく、「MORI NO YOCHIEN」「SATOYAMA YOCHIEN」かもしれない。