10月6日、いつものように携帯電話でプロ野球ニュースをチェックしていたら、「埼玉西武ライオンズの辻監督、退任」という記事が飛び込んできた。
「え! 本当に?」
確かに就任5年目の今季はBクラスがほぼ確定していたが、3年連続Bクラスだったチームを就任1年目から4年連続でAクラスに導き、2018年からパ・リーグ2連覇。指揮官として申し分のない成績を残していたので、正直厳しい評価だなと感じた。
同時に思い出されたのは、プロ野球の厳しさだ。選手に対してはもちろん、監督や首脳陣にとっても甘くはない。辻監督の退任というニュースを聞いたとき、これも仕方がないことなんだなと改めて感じられた。
プロ野球はどれだけ厳しい世界なのか。それを僕に最初に教えてくれたのが辻さんだった。
辻さんは1996年、西武ライオンズからヤクルトスワローズに移籍し、選手としての終盤4年間をスワローズでプレーして、1999年に現役を引退された。
ご存知の方もいるかもしれないが、僕がプロの世界に飛び込んで1年目の2000年は、辻監督が指導者としてスタートした年でもある。
辻さんがスワローズの2軍守備走塁コーチを務めた2年間、選手とコーチという立場で同じユニフォームを着て野球をできたことは、20年以上経った現在になって振り返っても、とても貴重な時間と経験だった。
鬼の形相の辻コーチ
今も心に残っているエピソードがある。僕がプロ1年目、宮崎県西都市で行われた2軍の春季キャンプでのことだ。
まだ高校を卒業する前で、もちろんプロで初めてのキャンプだった。思っていた以上にハードで、プロの練習についていくのが精一杯だった僕は、体も心も疲弊していた。
確か第1クールの最終日。キャンプ中の1日のラストメニューでは大抵の場合、全体練習が終わった後で疲れ切っている後にトレーニングメニューがある。入団1年目でまだ高校生だった僕は、まだまだ体力も精神力もプロのレベルではなく、本当にきつかった。
その日は確かきつめのランニングメニューの後に、縄跳びのトレーニングがあった。
ランニングメニューの後、疲れ切っている状態で、僕にとって苦手な縄跳びだ。小さい頃から縄跳びで遊ぶという環境におらず、本当に苦手だった。
しかも2重跳びを連続で10回跳ぶという、苦手な人にとってはかなり難しい内容だ。
案の定、僕は何度やっても連続で2回くらいしかできない。それを見ていた辻コーチは、最初はあのニコニコした顔をしていたが、だんだん表情が険しくなっていった。
うまくできずに、だんだんイライラしてきた僕はトレーニングコーチに生意気な態度で言った。
「もうできないですよ! 無理っす! 子供の時も縄跳びやってなかったんで」
即座、辻コーチが鬼の形相になった。
「おい! お前は何言ってるんだ!! 黙って早くやれっ。最初からできないって決めつけるな。そんな気持ちだったら、この先何もできないよ」
は、はい――。
僕は力なくそう返したが、辻さんがおっしゃる通りだった。
自分は最初から、できないと決めつけていた。その後は失敗を繰り返しながら、8回くらいまではできるようになった。
「次はきっちり10回な!」
辻さんにそう激励され、「はい! ありがとうございました」と僕は返した。
辻監督からしたら当たり前のことを言っただけなので、この日のことはおそらく覚えていないと思う。でも僕にとって、今でも辻監督を見ると思い出すエピソードだ。