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期待し続けた11年、これから始まる斎藤佑樹と私たちの第2章

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/11/10
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 彼と私たちの関係は複雑だった。

 出会いはあんなに華々しかったのに、一緒に過ごした日々はつらい事の方が多かった。深いところではずっとエールを送っているのに、うまく表現出来ず関係はどんどん歪んでいった。引退は寂しいけれど、わだかまりを溶かすというプレゼントをくれた。引退は寂しいけれど、私たちはこれで仲直りすることが出来たように感じる。

今度こそ、今年こそ、と気持ちが昂ったが……

 私は北海道のHBCラジオで「ファイターズDEナイト!!」という番組を2006年から担当している。

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 あの年は夏の甲子園で斎藤佑樹投手の所属する早稲田実業高校が優勝し……いや、北海道側からすると駒大苫小牧が早稲田実業に決勝で負けてしまった年だった。番組でもその話をたくさんして「ハンカチ王子」というフレーズも何度も使った。悔しかったけれど彼のあの爽やかな笑顔を憎めるはずなどなく、いつしかファンにさえなっていた。だから、早稲田大学での4年を経て、ファイターズに入団が決まった時の道民の興奮は想像を超えていた。

 初めてのキャンプ、佑ちゃんを一目見ようと沖縄・名護の球場は人で溢れかえった。チームの警備体制は今まで見たことのない厳重なものだった。2年目の2012年3月30日、就任したばかりの栗山英樹監督が開幕投手に指名したその試合で完投勝利をあげ、その年は5勝、チームはリーグ優勝を果たした。振り返ると、あの年までがかろうじて佑ちゃんフィーバーと呼べるのかもしれない。

 次の年の開幕はファームスタート、彼は右肩関節唇損傷という怪我を負っていた。

斎藤佑樹 ©文藝春秋

 リハビリの日々が続く。復帰して試合で投げてみてもうまくいかない。どうやら大学時代に痛めた股関節も思い通りにいかないその理由のひとつだと聞いて、あの甲子園のような姿はもう二度と見られないのかとファンは落胆した。

 オフになると斎藤佑樹投手がトレーニング方法を変える、とか、新しいマシーンを試すとか、そんなことが毎年ニュースになった。その度に「今年こそ!」と期待するが、シーズンが始まって夏くらいになるともう期待していたことすら忘れてしまう。

 そんな年を繰り返し、10年目を迎えた去年、彼は右ひじの靭帯を断裂してしまう。彼が選んだのはメスを入れない保存療法だった。手術をすれば復帰までに時間がかかる、もう自分にはその時間はないという決断だ。この方法でもし復帰が出来れば自分やチームはもちろん、これから先に同じような症状に苦しむ選手に対しても希望となる。

 驚いたのは今年2月のキャンプで彼は毎日200球近くボールを投げ続けたことだった。治療がうまくいっているに違いないと思った。今度こそ、今年こそ、と気持ちが昂った。でもその思いは浅はかだったと後で知る。復帰戦は7月まで先送りになり、そこから先もなかなか調子を上げられない斎藤佑樹投手がいた。だから覚悟は出来ていたはずだし、もっと言えばそのタイミングは何年も前からいつ来ても不思議ではなかった。

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