新陳代謝の早い鎌ケ谷で、ベテランと呼ばれるようになった選手がこなしてきた役目
きっかけは小さなことだった。2016年のある日、2軍戦での守備で膝をフェンスにぶつけた。痛みがあったが「出られない」と言ってはチャンスが減る。テーピングをして出続ける道を選んだ。これが選手生命を左右するなんて、全く思わなかった。
痛みはなかなか消えなかった。翌春のキャンプ、ある日の走塁練習で膝に力が入らず派手に転んだ。ひざの状態を、チームメートにも言わずにいたため、グラウンドには笑いが起きたが「もう、無理だ」と覚悟するしかなかった。さらに「象の足みたいに、腫れてたんですよね……」。常にテーピングされていた皮膚が、壊死し始めていたのだという。改めて検査をすると、膝の靭帯がよじれておかしな部分にくっつき、全く機能しない状態だった。
2017年の春、右ひざの手術をした。骨に穴をあけて軟骨の再生を促すなどの治療や必死のリハビリもあり、丸1年のブランクを経てグラウンドへ戻った。ただ本人の言葉通り、1軍での出番ははっきり減った。2020年など、2軍では打率.359を残しながら、1軍では7試合出場がすべて。通算140本の安打のうち、手術後の5年間ではたった15本だ。
SNSには、こうも綴っている。「たとえ結果が出なくても、潔く終わりたいと取り組み一つを大事にしてきたつもりです。球団から肩を叩かれるまでは素直にプレイしてきたつもりです」。1軍昇格という目標がかすんできても、自分のやるべきことを考え、やり切った。それにはどれだけタフな精神力が必要なのか、想像もつかない。2軍に人がいなくなれば未経験の一塁も守った。新陳代謝の早い鎌ケ谷で、ベテランと呼ばれるようになった選手がこなしてきた役目だった。
10月26日、西武とのシーズン最終戦でもらえた最後の打席、初球をやっぱり左翼へ運んだ。代打の鉄則は、3つしかないストライクの初球から打ちに行くこと。若い頃、2軍戦での代打で1回も振れずに凡退し、しょげていたのを思い出す。プロでやってきたことを詰め込んだ、素晴らしい安打だった。一塁ベース上で涙目になっているのを、テレビで見届けた。怪我がなければ、どんな選手になっていただろう。レギュラーではなかったかもしれないが、渋い通好みの好打者としてまだまだ現役を続けたのではないか。
斎藤と谷口、2人のプロ野球人生は11年で幕を下ろした。谷口は「悔いが残らないようにと取り組んだ1年だったので、スッキリしていますよ」と言っていたが、あの涙を見れば悔いが皆無なわけがない。そして見ていた側にも悔いが残る。彼らの完成形は、頭の中で思い描くしかないのだから。2人の“ゆうちゃん”がプロで過ごした日々は、ファンにとっても大切な思い出だ。答えのない完成形は、勝手に語り継いでいく。
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