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「投手出身で監督として成功するのは簡単じゃない」元ヤクルト・ロマンと高津臣吾監督との絆

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/11/15

「ハッピーだね。本当に嬉しいよ」

 スワローズ6年ぶりの優勝を祝福する“声”が、遠く離れた海の向こうから届いた。6年前、「勝利の方程式」の一角を担って優勝の立役者の1人になったオーランド・ロマンである。

「前回の優勝は、オレがヤクルトで最後に投げた年だからね。あの年のスワローズも素晴らしいチームで、いいケミストリーがあった。みんな同じ方向を向いていたし、ベテランと若手のバランスも良かった。そして何より、ブルペンが最高だったんだ」

オーランド・ロマン ©文藝春秋

2015年、盤石だった「ROBトリオ」

 2015年、真中満監督の下でセ・リーグを制した時のヤクルトも、今年と同じく2年連続最下位からの“下克上”だった。打線の中心は打点王の畠山和洋(当時33歳、現二軍打撃コーチ)、首位打者の川端慎吾(当時28歳)、本塁打王&盗塁王、そしてトリプルスリーの山田哲人(当時23歳)。先発陣も石川雅規(当時35歳)と小川泰弘(当時25歳)が左右の両輪と、ベテランと若手がバランス良くミックスされていた。

 救援陣では、来日4年目のロマンと、この年から加わったローガン・オンドルセクがセットアッパーを務め、抑えは球団新記録の41セーブをマークしたトニー・バーネット。当時のブルペン担当コーチで、今シーズンから4年ぶりにチームに復帰した伊藤智仁投手コーチが、今でも「あの後ろの3人は安定感がすごかった」と語るほど、それぞれの頭文字を取った「ROBトリオ」は盤石だった。

「タカツ」とは台湾で対戦。「生のピッチングを見れてよかった」

「そして、ピッチングコーチだったのがタカツさ。彼は日本とアメリカ(メジャーリーグ)、両方の野球を経験してるから、オレたち外国人のこともよく理解していたよ」

 今年、ヤクルトをセ・リーグ優勝に導いた高津臣吾監督は、当時はピッチングコーチ。現役時代は“燕の守護神”として野村克也監督の下で1993、95、97年、若松勉監督の下で2001年と計4度の日本一に貢献し、2004年から2年間はメジャーリーグのシカゴ・ホワイトソックスなどでもプレーした。2006年に復帰したヤクルトを2年で退団してからは、韓国、米国のマイナーリーグ、台湾、日本の独立リーグと渡り歩いて2012年まで現役を続けた。

「実はタカツとは台湾で対戦したことがあるんだ。彼は興農ブルズ(現富邦ガーディアンズ)のクローザーでね(ロマンは兄弟エレファンツ所属)。ホワイトソックス時代にテレビで見たことはあったんだけど、生でピッチングを見られてよかったよ」

 2012年にロマンが来日し、2014年に高津監督が投手コーチとして7年ぶりにヤクルトのユニフォームに袖を通してからは、しばしば2人で台湾時代の話に花を咲かせたという。他の投手陣と共に食事に招かれ、その席で夫人に会ったこともあると明かす。

「ナイスガイだし、大好きだよ」

「ナイスガイだし、大好きだよ。前回はコーチだったけど、今年は監督としての優勝なんで、本当におめでとうと言いたいね。ピッチャー出身で、監督として成功するというのは簡単なことじゃないんだ。素晴らしいよ」

 ロマン自身も今、指導者としての道を歩み始めている。2015年限りでヤクルトを退団すると再び台湾球界に戻り、その後は故郷プエルトリコのウインターリーグや代表チームでプレー。2019年のウインターリーグを最後に、1999年にニューヨーク・メッツのマイナーからスタートさせた21年間の現役生活に、別れを告げた。