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共感を集め続ける『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は何を描いているのか

CDB

2021/11/05
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 本作が生まれた2010年代以降には、「情報の力で情緒を退ける」ことを肯定的に賛美する風潮も一方では強い。ある種のインフルエンサーたちは「新しい情報で古い情緒を蹴散らす」という文法をバズの定番にしている。

 だがヴァイオレット・エヴァーガーデンは、その鋼鉄の義手と知性を、社会に分断された人々の感情を再び繋ぐために手紙を書く、理性が感情を学び直す物語として書かれている。よく誤解されるように、もしかしたらこの物語は「ロボットが人間の心を知っていく」物語として書いた方がわかりやすかったのかもしれない。だが原作者はたぶん、あくまでこれを人間の物語として書きたかったのだ。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、単に「感情は理性よりも尊い」と主張する物語ではない。確かに主人公は初め、柔らかな情緒の欠落によって自動手記人形学校の教官に叱責されるのだが、のちに優れた自動手記人形として歩き始める。それは逆説的だが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが理性的な存在だからだ。

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「私はあの方に何を伝えたいのか、自分でもわからないのです」と語り、自分のための手紙を書けないヴァイオレット・エヴァーガーデンは、その代償に他人の言葉に耳を澄ませることができる。自己主張で他人を支配し、正しさで断罪する自我を持たないがゆえに、彼女は人と人の感情の衝突の間に立ち、理性の橋を架けることができる。

「風変わりな物語」はどうして生まれたのか

 暁佳奈の原作小説を読んで感じるのは、この風変わりな物語が「手紙を代筆する」ことと「小説を書く」行為を重ねた自己言及的な作品になっていることだ。この作品でデビューした新人作家、暁佳奈にとって、小説を書くことは神のように世界を創造することではなく、社会の中で離れた人と人の心を虚構に翻訳し、手紙のように届けることなのだろう。物語の中心になる「自動手記人形」は、原作者にとってある意味では小説家という存在の隠喩なのかもしれない。

 よく知られるように、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は京都アニメーション大賞の初の大賞受賞作である。原作小説を出版している「KAエスマ文庫」のKAとは京都アニメーションの頭文字、エスマ(esuma)とは「発掘する・発見する」という意味のイタリア語だ。文字通り、京都アニメーションが埋もれた才能を発掘するための出版部門がKAエスマ文庫であり、その登竜門が京都アニメーション大賞だった。