「泣ける」というキャッチコピーは、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品をテレビで紹介する時に、一般の視聴者を惹きつけやすいフレーズではある。10月29日の金曜ロードショーでの『特別編集版』放送時にも「涙腺崩壊」がトレンドワード入りした。

 だがテレビシリーズや劇場映画版、そして原作小説を読んで感じるのは、この物語が涙とともに流れ落ち、やがては乾いて消える消費コンテンツではなく、感情と理性、言語とコミュニケーションについての優れた寓話でもあることだ。

“人間になろうとする人形の物語”が描くもの

「自動手記人形(オート・メモリーズ・ドール)」は、この作品の世界観を象徴する造語である。作品中でそれは、過去に作られた機械仕掛けの自動人形にちなんで、生きた人間が行う代筆業全般をそう呼ぶようになったと説明される。

ADVERTISEMENT

映画「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -」公式HPより

 戦火の中で育った少女、ヴァイオレット・エヴァーガーデンには人間的な情緒が欠落し、自分自身のことを「残骸(原作小説『ヴァイオレット・エヴァーガーデン・上「囚人と自動手記人形」』)」「人のまがい物(『同・下「半神と自動手記人形」』)」と呼ぶ。

 人類はおとぎ話の時代からSFに至るまで、人間になろうとする人形の物語を語ることで、逆説的に「人間とは何か」を描いてきた。この物語もある面では、自分が人間ではなく人の形をしているだけの人形だと感じている主人公が、人と人の間を生きることで人間に成長していく、古典的な成長物語として書かれている。

いま共感を集めるのは…

 ヴァイオレット・エヴァーガーデンという主人公がこの時代に観客の共感を集めるのは、彼女が抱えるものがコミュニケーションに関する障害だからだ。

 自動手記人形の学校のテストで文法と語彙で満点を取る知性がありながら、彼女は言葉の向こうにある他人の感情をつかむことができない。マシンガンのような強度と速度でタイプライターを叩くことはできるが、卵をやさしく割ることができない彼女の手、戦争で切り落とされた両腕に装着した鋼鉄の義手は、人と握手し、その温度を感じることができない不器用なコミュニケーションの隠喩にもなっている。情報の戦争の中で育った子どもたちが、人の交わりの中で情緒を学び直す現代の寓話として『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は読むことができる。