10月28日、作家の猪瀬直樹さんと批評家の先崎彰容さんによる文藝春秋digitalウェビナーでの対談「『象徴天皇制の行く末』を眞子さん“結婚会見”直後に議論する!――『ミカドの肖像』から35年、皇室はどこで変わったのか?」が開催されました。

 11月14日、秋篠宮家の長女・小室眞子さんと圭さん夫妻は、羽田空港からニューヨークに向けて出発しました。10月26日の結婚会見で眞子さんはご自身の結婚について、「一方的な憶測が流れる度に、誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、謂れのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚えるとともに、辛く、悲しい思いをいたしました」と発言。元皇族としての苦悩を赤裸々に明かしました。

 国民とともに歩んできた戦後皇室のほころびが見えた今回の結婚劇。一連の出来事を『ミカドの肖像』『天皇の影法師』などの著作で皇室と日本人の関係を論じてきた猪瀬氏はどう捉えているのでしょうか。『維新と敗戦』で和辻哲郎の象徴天皇制論を仔細に論じた、日本思想史研究者の先崎氏が迫ります。象徴天皇制の行く末を問うた対談録を一部、無料公開します(対談動画と対談録テキスト全編は「文藝春秋 電子版」で公開しています)。

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結婚会見での眞子さん ©JMPA

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先崎彰容(以下、先崎) 今日は日本の皇室、天皇制について猪瀬直樹さんと語っていきたいと思います。猪瀬さんの最初の著作は『天皇の影法師』(1983年)ですよね。その後、今日のタイトルにもなっている『ミカドの肖像』(1986年)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞される。丸山眞男も天皇を描くことからスタートしましたし、和辻哲郎もそうです。猪瀬さんが最初に天皇から入っていったのはどのような契機があったのでしょうか。

猪瀬直樹(以下、猪瀬) 日本の意思決定について考えたかったからです。小室圭さんと眞子さんの結婚がこれだけ騒がれていることとも絡んできますが、それはおいおい言及します。要するに、天皇とは何かということを考えることなしに日本の統治構造とか、我々自身の文化のおへそみたいなこともわからない。『ミカドの肖像』を書いたのは、記号として見える化を徹底的に考えてみようと思ったからです。

対談は「文藝春秋digitalウェビナー」で行われた

天皇家は自ら手を挙げない限り状況を変えられない

猪瀬 今度の12月23日で、明仁上皇が88歳になりますね。昭和天皇は87歳で崩御している。つまり、昭和天皇を越えるんですね。昭和23年の12月23日、明仁皇太子の15歳の誕生日に東條英機が処刑されている。これはGHQが考えた、日本が戦争に負けたということをきちんと確認させるための導火線であったと思うんですね。

 天皇が亡くなると、これまで4月29日が昭和天皇の誕生日ですから、そこが休みになってGWになっていたんですけど、天皇が替わると、12月23日が祝日になる。いずれ昭和天皇がなくなって、新しい天皇が即位したときに、東條英機が処刑された日だよ、君たちは我々に戦争を仕掛けて負けた国なんだよ、とそうしたことを知らしめる意図があったと思う。

猪瀬直樹氏 ©文藝春秋

 上皇が88歳になるということは、昭和天皇の年齢を超えるということ。それで、数年前に私は退位すると言いましたよね。退位しなければ死ぬまで宮中祭祀をやらなければいけないと。そのときに、政府や官邸は、認めようとしなかった。だから天皇家の人々は自ら手を挙げない限り、自分たちの状況を変えられないということを身にしみて感じたと思うんです。今回の騒動にしても、自分たちで切り抜けなければならないということは感じていたのではないかと。つまり、誰も助けてくれない。