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 2021年に書かれたものだと言われても誰も疑わないだろうが、実は1977年に書かれた『乱塾時代』(毎日新聞社会部著、サイマル出版会)からの引用である。このころ中学受験塾に通っていた子どもたちはいま、50代半ばになっているはずだ。記者の懸念が当たっているかどうかはそれぞれに判断してほしい。

 書籍を読むと、2021年のいまよりも過激な中学受験が横行していたことがわかる。いま現在の中学受験熱が異常なのではない。

日能研の東京進出とサピックスの誕生

 開成は1982年以降、一度も他校に東大合格者数首位を明け渡していない。このころから全国的にも私学人気が高まる。

 当時東京都では四谷大塚の「日曜テスト」が中学受験のスタンダードになっており、その対策をする中小準拠塾が群雄割拠していた。開成には桐杏学園という少数精鋭塾が強かった。TAPという中小塾も、難関校に特化して実績を伸ばしていた。

 1985年には麻布が、それまで2月1日と2日の2日間にわたって行っていた入試を、2月1日のみで完結するようにした。これによって、神奈川県の中学受験者の目が、東京都の私学にも向きやすくなった。それと同時期に東京に進出したのが、神奈川県発祥の中学受験専門塾・日能研だった。

瞬く間に最難関私立中学受験塾の筆頭の座に

 私立中高一貫校人気の高まりに好景気が重なり、中学受験が大衆化した。しかも四谷大塚と日能研による情報公開合戦によって、中学受験への間口が広がった。

 各学校の入試難易度を示す「偏差値一覧」が公表されるようになったのもこのころから。それまで塾業界は、「学校の評価と受け取られかねない」として、偏差値一覧をあくまでも内部資料としていたのだ。

 1989年にはTAPの上位クラスの講師たちが独立してサピックスを立ち上げる。ちょうどバブル景気にも重なり、瞬く間に最難関私立中学受験塾の筆頭の座に躍りでた。大衆化路線に舵を切った四谷大塚と日能研の間隙(かんげき)を縫った形だ。サピックスについては拙著『ルポ 塾歴社会』(幻冬舎新書)が詳しい。