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「胴上げは勝ってからするもんだ」古葉竹識さんが勝つことを知らない大洋ホエールズに残したもの

2021/11/21
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 古葉竹識さんが11月12日に85歳で亡くなった。

 広島、南海で俊足巧打の内野手として活躍し、2度の盗塁王を獲得。現役引退後は広島カープを率いて11年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成して1970~80年代の黄金期を築いた。99年には野球殿堂入りを果たしている。

古葉竹識さん ©️文藝春秋

86年、衝撃だった「古葉、大洋監督に就任」のニュース

 古葉さんは85年にカープの監督を退いた後、翌86年末に横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の監督に就任する。小学生だった大洋ファンの筆者にとって、【古葉、大洋監督に就任】のニュースはとてつもなくインパクトがあった。関根潤三監督は長嶋茂雄招聘に向けた地ならしの意味合いがあったし、近藤貞雄監督は打倒巨人の姿勢を前面に打ち出し、スーパーカートリオなど話題作りに長けたモチベーター的指揮官。そんな中で1年前まで強豪カープを率いていた本物の名将がハマの弱小球団にやってくる。「古葉が大洋の監督なんてやってくれるの? 本当に?」最初は半信半疑だった。

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 球団は本気だった。2~3年でコロコロ監督を替えるのが当たり前だった大洋で異例の5年契約。古葉さんは寺岡孝コーチをはじめ赤ヘル時代の腹心を何人も連れてきた。さらにはかつての教え子である西武黄金期の主力打者、片平晋作を獲得し、韓国に渡り大活躍していた新浦壽夫を日本に呼び戻す。あまりにも古葉カラーが強くなり「大洋じゃない感」が漂い始めたのは気になったが、何せ20何年も優勝していないのだ。血の入れ替えは必要なのだと子供なりに納得した。

古葉監督就任を特集した月刊ホエールズ1987年新年号。「古葉大洋」は大きな話題になった。

盛大な監督就任披露パーティー

 期待の大きさは86年12月8日の監督就任披露パーティーからも伺えた。この手の大々的なお披露目はもちろん球団史上初。しかも横浜ではなくバブル期のトレンディスポット、赤プリこと赤坂プリンスホテルで盛大に開かれ、安倍晋太郎に渡辺美智雄、翌年総理の座に就く竹下登ら大物政治家が祝辞を述べ、時の内閣総理大臣・中曽根康弘からは祝電が届いた。加えて司会は女優・山本陽子だ。華々しい式で壇上に立った中部新次郎オーナーはたけし軍団に引っかけて「竹識(たけし)軍団となってばく進せよ!」と奮ってスピーチしたが、パーティー終了直後の9日未明、本物のたけし軍団とビートたけしによるフライデー編集部襲撃事件が起こってしまう。そんなオチはつきつつも、古葉大洋の船出はただただ希望に満ち溢れていたのである。