「最近連絡がとれなくて、先週の文春を読んで彼が亡くなっていたことを知りました……」

 こう言葉を詰まらせたのは都内在住のAさん。11月18日号で週刊文春が自殺を報じた朝日新聞記者の竹岡正貴さん(33・仮名)が、死の4日前の10月2日夜、80分間にわたって電話で語り合った、親交の深い友人だ。

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竹岡記者が最後に遺していたツイート

 竹岡記者は11年目の若さで大阪本社経済部の統括キャップを務めていた。

「記者として、世の中を少しでも良くしたい、人の役に立ちたいって。記者の仕事の責任は重いと常々語っていました。取材相手に寄り添うことをいつも心がけている、とも」(Aさん)

 竹岡記者とAさんは5年前に知り合った。

「映画鑑賞が共通の趣味で意気投合しました。面白い映画を見つけては、教えてくれました」(同前)

 そんな竹岡記者が最後に遺していたのが、10月4日午後4時前後に相次いで書き込んだツイートだ。

〈トモダチだから書くってなったら、政権を「オトモダチ人事だ」って批判できなくなるのでは〉

竹岡記者の10月4日のツイート

 この日の午前、竹岡記者は近畿経済産業局長の就任会見に出席。幹事社として代表質問を行っていた。

「この新任局長が大阪経済部長(当時)の渡辺知二氏と長年の友人だったのです。渡辺氏は事前に竹岡氏に『記事にしないのか』などと尋ねており、竹岡氏はそれを上司からの圧力と受け止めて、悩んでいた」(大阪経済部関係者)

「どうしても納得がいかないんだ」

 会見2日前の夜、Aさんとの電話で竹岡記者が怒りを露わにしたのも、この話題になった時だった。

「まさに『オトモダチ』そのものじゃないか!」

 Aさんが振り返る。

「上司と考え方が合わない、と言っていました。その方の友達の記事を書けと言われていて、自分の記者としての信念に照らしてどうしても納得がいかないんだ、と延々と感情を込めて話していました。上司からこんなことを言われているとツイッターで訴えたら、色々な人が読んでくれるかも、とも言っていました」

 それには伏線がある。竹岡記者は2日付朝刊で〈パナ早期退職に 1000人超が応募〉との署名記事を執筆。〈もう少ししっかりと説明ができていれば、活躍を期待していた人まで退職することにならなかったと思う〉とのパナソニック社長のコメントを引用した。それがネット上で影響力を持つ人物の目に留まった。