だからこそ、安室が引退前日の2018年9月15日、ファンと過ごす最後の場所に選んだのも沖縄だった。場所は初の沖縄凱旋ライブと同じ宜野湾市の沖縄コンベンションセンター。ラストツアー最後のMCの一言と同じく、「笑顔で終わる」というのが、彼女にとって大きなポイントだった。
歌で、笑顔で終わりたいなという場所が、沖縄だったのかな。笑顔で始まった場所でもあるので。(NHK『おはよう日本』2018年9月10日)
小室哲哉の初プロデュース作『Body Feels EXIT』がリリースされたのは1995年10月。小室は
「出会った頃の奈美恵ちゃんは、今よりももっと、ほんとうにあまり喋らない子でした」(『FRaU』2017年12月号)
と、当時を振り返っている。
売れっ子プロデューサーとして世を席巻していた小室だったが、安室を一目見た時から、歌とダンスに、そしてその佇まいに圧倒的な魅力を感じていた。ムーブメントの中心を担う人に出会ったという確信があった。プロデュースをするにあたっても、自分の色に染めるのでも、深く語り合って彼女の内面を掘り下げるのでもなく、その姿から想像した女性像を歌にした。小室はこう語る。
才能を引き出してもらったのは僕の方だと思っています。奈美恵ちゃんがいたから書けた曲ばかりで。彼女自身に、インスパイアをもらった部分がとても大きいんですね。(『FRaU』2017年12月号)
一方、スターダムを駆け上がっていったこの頃を、安室は
「次々と与えられるものに必死で応えていく、まるで修行のような日々」(『Numero TOKYO』2018年9月号)
と振り返る。
追い求めていたのは、可愛いよりもカッコいい女性像だった。デビュー前からの憧れはジャネット・ジャクソン。「周りが大人ばかりだったので『子ども扱いされたくない』と思っていた」(『SPUR』2018年9月号)という環境の中、他者に媚びたり可愛さや色気やセクシーさをアピールすることよりも、ジャネット・ジャクソンのように、強く、とんがった、カッコいい女性であろうとしてきた。そのせいもあってか、SUPER MONKEY’S時代から男性ファンよりも女性ファンのほうが多かった。
安室奈美恵が体現してきた、強く、自立した「カッコいい女性像」に、同世代や年下の女性たちが憧れ、夢中になった。
30歳で更新した「カッコいい女性像」
しかし、安室自身が女性として、アーティストとしての本当の意味での自立を獲得したのは、もっと後のことだ。
安室は10代の頃をこう振り返っている。
あの頃は、敷かれたレールが目の前にあった。だからその上をとにかく真っすぐ歩いていくという……他人事みたいな部分がありました。(『VOGUE JAPAN』2018年10月号)
転機になったのは、自分と向き合った1年の休業期間。そして小室プロデュースを離れセルフプロデュースの体制になった00年代以降の音楽活動だ。当初は迷いもあった。何をすれば正解なのかわからない。作詞に挑戦したこともあったが、しっくりこなかった。