1ページ目から読む
3/3ページ目

 その中で大きなターニングポイントとなったのはラッパーのZeebra、m-floのVERBAL、音楽プロデューサーの今井了介と組んだスペシャルユニットSUITE CHIC(スイート・シーク)としての活動だった。アルバム『WHEN POP HITS THE FAN』(2003年)は、本格的なR&B、先鋭的なヒップホップの方向性で新境地を開拓した1枚だ。

 本作以降、「安室奈美恵」名義に戻った彼女は、貪欲に音楽的な挑戦を繰り返していく。Nao’ymtなど信頼する音楽プロデューサーと共に同時代の海外のR&Bやヒップホップやダンスミュージックのエッセンスを旺盛に取り入れるようになった。こうして制作された『Queen of Hip-Pop』(2005年)は高い評価を集め、そして『PLAY』(2007年)で7年ぶりのオリコンアルバムランキング1位を獲得する。

 このとき、安室は30歳となっていた。この時期を彼女はこう振り返る。

ADVERTISEMENT

 SUITE CHICでの活動や、あの時期の出会いを通じて、「こうやって音楽を楽しむんだ」というのを再確認して、再び安室奈美恵と名乗ったとき、無意識にSUITE CHICの楽しさをそのまま引き継ぐことができたんです。(『VOGUE JAPAN』2018年10月号)

 テレビの音楽番組にはほとんど出演せず、活動の軸をコンサートに置き、ダンスと歌に徹するパフォーマンスを繰り広げるようになっていったのもこの頃からだ。MCを一切挟まず2時間ぶっ通しで歌い踊る姿には圧倒的な説得力があった。

 誰かに敷かれたレールの上ではなく、自ら決めて選んだ道を歩み、パフォーマンスで魅了する。そのプロフェッショナルな姿勢や生き方を通して、以前とは違う意味で彼女は同世代や年下の女性の憧れとなっていった。

 安室は自らの人生の転機を30歳だったと語っている。

 30代が、もう本当に素晴らしく楽しい10年間だったんです。いろんなことが自由にできて。だから、ここから先はこの最高の10年をもとに歩いていけると感じているんです。(『ViVi』2018年8月号)

 奥田民生が30歳で「イージュー★ライダー」を書き下ろし「僕らの自由を」と歌ったのと同じように、安室奈美恵も、やはり30歳で「自由」と「自分らしさ」を手にしていた。

 本書で繰り返し書いているように、平成とは「自分らしさ」の時代だった。自己犠牲が美徳とされた昭和の価値観が少しずつ解体され、それぞれ個人の主体性が獲得されていく30年だった。

 そういう意味でも、安室奈美恵は「平成の歌姫」だった。

©文藝春秋

人生の荒波を超えていく

「CAN YOU CELEBRATE?」は結婚式の定番曲だ。もともとウェディングソングを意図して書き下ろされた曲でもある。しかし、こうして安室の歌手としてのキャリアを振り返った上で考えてみると、より深い意味を歌詞から読み解くことができるのではないかと筆者は考えている。

 安室はこの曲について、こんな風に語っている。

 20代、30代、そして今。この歌は、歌う年齢によって、歌詞の重みも違って感じるし、ジーンとくる言葉もそのときどきで異なっていて。きっとこの先の40代、50代も、自分の成長や経験とともに、聴くたびに新しい発見のある曲じゃないかなと思う。(『andGIRL』2018年8月号)

 歌詞には、こんな言葉がある。

 遠かった怖かったでも 時に素晴らしい

 夜もあった 笑顔もあった どうしようもない風に吹かれて

 生きてる今 これでもまだ 悪くはないよね

【続きを読む】「怖かった、正直」「不安と戦っていくしかないと思った」華々しいデビューから一転“不遇の時代”に…嵐メンバーが振り返った“辛い記憶”

平成のヒット曲(新潮新書)

柴那典

新潮社

2021年11月17日 発売