昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「昭和天皇は質実を叩き込まれ、華やかな方を望むのは“享楽的贅沢”と考えられていたふしがある」 磯田道史が“皇族や華族の頭の中に踏み込んで描ききった”と評した物語とは

林真理子×磯田道史 #2

source : オール讀物

genre : エンタメ, 読書, 歴史, 社会, 国際

 新刊『李王家の縁談』で日本の皇族と朝鮮の王太子との縁談を描いた林真理子さん。本作の主人公は、長女・方子(まさこ)を朝鮮王家に嫁がせるなど、家柄を重んじた縁談を次々に進め国に尽くした、梨本宮伊都子(いつこ)だ。林真理子さんと歴史学者の磯田道史さんが、「やんごとなき」方々の結婚について語り合った。(全3回の2回目。#1#3を読む。初出:オール讀物2021年12月号。年齢、肩書等は掲載時のまま)

◆◆◆

貞明皇后はオールジャパンで

磯田 良子女王は何事にも動じない、落ち着いた方だったようですね。

 お写真を見ると、本当に日本人形のようで、ああいう顔立ちが昔の美女とされていたのですか?

エリザベス女王来日時の、昭和天皇と香淳皇后 ©文藝春秋

磯田 そのようにも考えられますが、昭和天皇は幼時から質実を叩き込まれ、地味で実直な感じの方がお好きだったのではないかと思います。目鼻が大きくて目立つ華やかな方を望むのは“享楽的贅沢”と考えられていたふしがあります。

 続いて貞明皇后の次男の秩父宮の妃となった、松平勢津子(せつこ)さんは会津の松平容保(かたもり)の孫ですから、これはすごい。かつての朝敵の子孫を皇室に迎え入れるという発想もなかなかできません。

林真理著『李王家の縁談』

磯田 維新に功績のあった薩長との力関係も含めて、貞明皇后は「オールジャパン・ノーサイド」を考えられた。政治方面の男性方とも相談をされた上でしょう。久邇宮家と梨本宮家の父である中川宮(朝彦親王)は、実は明治元年に徳川慶喜に使いを出して維新政府の転覆を企てたとして、一時、親王位をはく奪されて広島に幽閉された皇族です。要するに、朝敵にされたり、けん責されたりした一族にも不満を持たせぬよう、名誉回復して体制に取り込む機能を、皇族の縁談はもっていたわけです。

 伊都子さんから見れば、勢津子さんは平民の外交官に嫁いだ妹の子です。身分としては自分の次女・規子の方が高いにもかかわらず、ここでも選ばれなかったという悲憤があったでしょうね。縁談の話がきた時、勢津子さんのご両親も、「地味で不器用で普通の子です」と何度もご辞退したそうですが、勢津子さんも決して派手な雰囲気はなくとも、本当に品よくまとまっていらっしゃって、貞明皇后にも可愛がられたそうですね。