新刊『李王家の縁談』で日本の皇族と朝鮮の王太子との縁談を描いた林真理子さん。主人公は、長女・方子(まさこ)を朝鮮王家に嫁がせるなど、家柄を重んじた縁談を次々に進め、国に尽くした、梨本宮伊都子(いつこ)だ。彼女の日記を紐解きながら、大正から戦後までの激動の時代が描かれた本作を、“皇族や華族の頭の中に踏み込んで描ききった”と評した歴史家の磯田道史さん。「やんごとなき」方々の縁談について、歴史家の磯田道史さんと、著者の林真理子さんが語った。(全3回の3回目。#1、#2を読む。初出:オール讀物2021年12月号。年齢、肩書等は掲載時のまま)
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日本と朝鮮、互いの反発心
林 少し意外だったのが、朝鮮の王太子・李垠(イウン)と梨本宮方子さんの縁談が決まった当初、朝鮮の方ではそれほど大きな反対はなかったそうですね。
磯田 朝鮮の歴史を見ると、モンゴル帝国時代、高麗王朝の王にはモンゴルの皇族女性が連続して嫁いでいます。つまり、朝鮮半島では、隣りの軍事大国が王に后妃を押し付けてくる状況はすでに経験ずみでした。西洋化の時代になり、周辺国を従える“帝国”の確立を急ぐ日本が、かつてのモンゴルのように王に妻を押し付けてきた、と捉えたかもしれません。
林 その視点は考えたことがなかったです。ただ、李垠と方子さんの最初の息子が朝鮮で亡くなり、これが毒殺だったと根強く言われています。やはり日韓併合の歪みが顕れてしまったということでしょうか。
磯田 日本はそもそも“併合”という形をとった上に、李垠を東京で教育し、長期的に住まわせています。徳川幕府が大名の子を江戸に置いたのと同じです。朝鮮もここまで外国に、自国の王を取り込まれたのは稀でした。さらに、日本は神道、朝鮮は儒教の国ですから、宗教的な共通点もないわけで、日本に対する反発心は間違いなくあったと思います。
林 最初は子供の頃に伊藤博文に無理やり連れてこられて、おいたわしい人質の王子様だったわけですが、そのうち日本の女性を娶った上、東京でいい暮らしをしている――このように国民の感情が変化していき、戦後、李垠夫妻の結婚は歓迎されず、長らく韓国への帰国も許されませんでした。日本が朝鮮の国民感情を無視したことを色々とやっていたことは事実だし、それを今も引きずっているわけですから本当に難しいですね。