もともと制服着用が義務づけられていたが……
2017年度、東京大合格者数上位校で私服通学可の高校は次のとおり(◎は私立、□は国立、無印は公立)。
【東京大合格者・70人以上】
□筑波大学附属駒場(東京)、◎灘(兵庫)、◎麻布(東京)
【69人~20人】
□筑波大学附属(東京)、◎甲陽学院(兵庫)、旭丘(愛知)、◎女子学院(東京)、◎武蔵(東京)、西(東京)、◎東大寺学園(奈良)
【19~10人】
国立(東京)、水戸第一(茨城)、小石川(東京)、長野(長野)、札幌南(北海道)、戸山(東京)
【9~5人】
◎桐朋(東京)、秋田(秋田)、東葛飾(千葉)、武蔵(東京)、仙台第二(宮城)、津(三重)
これら学校の多くはもともと制服着用が義務づけられていた。
しかし、1970年前後、全共闘などが登場した学生運動が盛んだったころ、いくつかの進学校で学生運動(高校生運動とも呼ばれていた)が行われていた。高校生の活動家たちは「受験体制打破」「政治活動の禁止粉砕」を訴えるとともに、制服着用を管理、統制、抑圧と受け止め、制服自由化を求めていた。
たとえば、女子学院高校である。
「服装は本来自由なものであって、通学服も同じこと」
1969年11月10日、バリケード封鎖が起こった。活動家たちは「日常性を一時停止することで何が自分にとって問題かを考えるためにバリケードを築いた」と訴える。この間、授業は行われず、女子学院の教育をめぐって教師と生徒が膝詰めで議論がなされた。その1つに管理教育への見直しがあり、制服廃止につながっていく。当時の女子学院院長の大島孝一は次のように話した。
「服装は本来自由なものであって、通学服も同じこと。自分にふさわしいものを選びとっていくことが大切。このためには規定は邪魔になる」(『女子学院の歴史』1985年)。
1969~1972年、女子学院のほかに麻布、灘、筑波大学附属駒場(当時、東京教育大学附属駒場)
上記以外で、私服通学可のおもな高校は次のとおり。