“天才パン職人”の「原点」
「なんかふわーっとして、北海道から鹿児島まで歩いたり。しんどかった(笑)。そのときにお菓子屋になりたいなと思いました。お腹がすいてお菓子が食べたいなって。原点? そんなふうに言うたらかっこいいですか? はい、原点です(笑)」
ところが、菓子の修行のために渡ったパリで、バゲットに出会う。
「仕事帰りに自転車に乗りながらしょっちゅうバゲットを食べてました。バゲットのサンドイッチが本当にうまくて。日本にまだ専門店はないじゃないですか。いけんじゃないかなー、作ったら売れるんじゃないかって(笑)」
私は、神岡さんのことを、山下清みたいなタイプの天才だと思っている。見かけは、「ふわーっと」リヤカーでサンドイッチを売りはじめてしまうような、浮世離れした夢想家。でも、サンドイッチはがっちりと自分の味のツボをつかまえて絶対ゆらがない。表現したい「この味」がピンポイントで伝わってくる。
たとえば、「自家製ハムとエメンタール」。旨味と風味だけ嫌味なく引き出されたハムと、ミルキーさと熟成感を豊富に含んだエメンタールチーズがぴったり重なり合って生まれる狂おしい味。
「エーデルピルツケーゼ(青カビチーズ)と蜂蜜、くるみ」では、個性派同士が一致結束、奇跡のチームプレーを見せる、いくら食べても飽きない、やばい組み合わせ。
「プーレキュリー 鶏肉のカレー味ビネグレットソース」では、カレー色に染まって鶏の旨味を、攻めた塩気がじんじんと引き出す。
それら強烈な味わいを慰撫し、包み込むのはバゲット。かりっとしつつすんなり歯が入って攻撃的でない。むっちりとたわんで、白いベールを具材にかける。人柄同様、とてもやさしいバゲットなのだ。神岡さんがイメージしているのは、自転車に乗りながらかじったパリの名店ジュリアンのバゲットだ。ホシノ酵母という日本酒のような風味のあるパン種から長時間発酵で作られる。やさしい甘さがあるのはそのせいだ。
15年後……神岡さんの壮大な夢
シャポー・ド・パイユは名店として知られるようになり、最近、弟子もできた。では、リヤカーを引いていた頃のガッツが落ち着いたのかといえばそんなことはない。風船みたいに、ほっとくとすぐふわっとして空想の世界に飛んで行く。
「15年後、2人の子供(10歳と7歳)が手がかからんようになったら、フランスまでリヤカーを引く旅やりたいと思ってるんです。シルクロードを通って、ダッチオーブン(オーブンの機能がついた鍋)でパンを焼きながら」
1万9800円のリヤカーはいまも大事にしまってある。
シャポー・ド・パイユ
東京都目黒区中目黒4-4-10 1F
03-6303-0014
定休日 : 月・火
営業時間 : 7:00~売り切れ次第閉店
写真=池田浩明