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 その「おじさん構文」のひとつに「句読点オジサン」というのがあります。

 〈明日は、楽しみにしてるよ。/体調に、気をつけてね。〉

 顔文字や絵文字は使わず、句読点の多い文を書きます。現実に、こんなふうにテンを乱打するおじさんが何パーセントいるのか、それは知りません。ただ、ごく控え目にテンを打つ年配者でも、テンをまったく使わない若者と比較すれば、十分「句読点オジサン」に分類されるでしょう。

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昔の人は多くテンを打ったか

 テンの乱打というと思い浮かぶのは、細菌学者・野口英世の母シカの手紙です。海外にいる息子・英世に対し、早く帰国してほしいと頼む内容です。1912年に書かれました。

 〈おまイの。しせ〔出世〕にわ。みなたまけました〔驚きました〕。わたくしもよろこんでをりまする。なかた〔中田〕のかんのんさまに。さまにねん〔意味不明〕。よこもり〔夜籠もり〕を。いたしました。〔下略〕〉

 シカが文字を覚えたのは少女時代で、幕末のことでした。寺の住職にお手本を書いてもらい、繰り返し練習したといいます。この手紙は彼女の独学のたまものです。

 全文を読むと、文節ごとに「。」(現在のテンおよびマルに相当)を打っている箇所が複数あります。シカは漢字が書けませんでした。「。」を多用したのは、仮名が長く続くのを避けようとしたからでしょう。

 ただし、昔の人がみな、シカと同じようにテンを多く打っていたわけではありません。

 歌人・与謝野晶子は、同じく1912年にヨーロッパに渡った際、こんなはがきを次男に送りました。

 〈カアサンハズヰブン〔随分〕クルシカツタデスノオルドー汽車〔北急行〕ハシマヒニ百円カラタカクナツタノデスカラカアサンハフツカホドアサニパントカフヘー〔コーヒー〕ヲノンダダケデナニモタベマセンデシタ。ダカラナホツカレマシタ。〉

 これだけ長い文章で、テンは使わず、マルも2か所使っているだけです。読みにくいからテンを打とうという発想は、この文章にはありません。

20世紀になって句読点が定着

 筆に墨をつけて続け書きをするのが普通だった昔、文章を書きながら句読点を打つことは一般的ではありませんでした。句読点に類するものは、漢文訓読などのために古代から使われていましたが、日常生活で文章を書くときは、テンもマルもなく続けていました。たとえば、「枕草子」の冒頭。

 〈春はあけほのやう\/しろく成行山きはすこしあかりてむらさきたちたる雲のほそくたなひきたる夏はよる月の比はさら也やみも猶ほたるの多く飛ちかひたる〔下略〕〉