茶色い5両の客車と機関車は、1年近くかけて整備され、ピカピカに輝いている。牽引する機関車には、通常、日の丸の国旗が2本クロスする形で掲げられるが、この日はそのうち1本がベルギー国旗になっていた。天皇皇后両陛下だけではなく、ベルギー国王夫妻も乗車されていたためだ。ずっと運転されていなかった一号編成によるお召し列車が運転された背景には、ベルギー国王へのおもてなしという側面もあったようだ。
防弾ガラスになっている窓を開けて……
一斉にシャッター音が響き、緊張感が張り詰めるなか、両陛下が乗った御料車が真横を通過する。感無量だった。
この時、驚いたのは、幾重にも安全対策が施され、防弾ガラスになっている御料車の窓が開け放たれていたことだ。両陛下の姿が直接見えるようにとの配慮だろうが、ご自身の安全よりも国民との距離を縮めようという両陛下のお考えが象徴されているように感じた。
一号編成によるお召し列車が大きな反響を呼んだためか、その後は毎年のように運転されるようになった。翌97年には岩手県の山田線・釜石線、99年には中央本線、01年には東海道本線と東北本線・気仙沼線でそれぞれ運転された。一号編成での運行が最後となった02年には、陸羽西線・羽越本線で運転された。
もちろん、全て撮りに行った訳だが、次第に列車そのものと同時に、御料車の窓を開けて手を振られる両陛下の姿も写すようになっていた。
行幸啓先で目撃した“事件”
02年の運転を撮りに山形へ遠征した時のこと。列車の撮影以外に特に用事もなく、ふと思い立ち、両陛下の行幸啓先である金山町立明安小学校へ様子を見に行くことにした。何度もお召し列車を撮影してきたが、列車以外で両陛下のお出まし先を目指すのは、これがはじめてだった。
両陛下が到着される1時間ほど前に現場に入ったが、既に多くの人たちが待ち構えていた。上空に警備のヘリが飛来すると、いよいよという空気が流れる。
事前に警察官が説明してくれた通り、3分前になると“3”の看板が掲げられたパトカーが通過し、1分前には“1”のパトカーが通過した。1のパトカーが通過した後は、完全に交通規制が敷かれ、対向車線も含めて一般車両は全て排除される。
車列が近づいてくると、奉迎者は一斉に日の丸の小旗を振りはじめた。小旗の振り方についても、事前に警察官からレクチャーがあった。左右に振ると後ろの人が見えなくなるため、自分の体の前で上下に小刻みに振るのだ。