12月23日になると、天皇誕生日の祝日を連想する人は、今もまだ多いのではないだろうか。2019年5月1日から新元号の令和となり、天皇陛下(現在の上皇陛下)は皇太子殿下に譲位され、新たな天皇誕生日は2月23日となった。
普通に生活している限り、天皇陛下と直接的な接点などないのだが、会いたいと思えば、実は誰でも会いに行くことができる(コロナ禍の現在では、少々事情は異なるが)。もちろん、遠目に拝見するだけだが、十分に価値のある経験となるだろう。
最初に断っておくが、私は皇室ファンというわけではない。ただその場の独特な雰囲気が好きで、現在の上皇上皇后両陛下が天皇皇后両陛下だった頃、お出ましになる場によく足を運んでいた。そうしたことを20年以上続けているうちに、お二人の行動やしぐさを通して、お気持ちが少し分かるような気がしてくるから不思議なものだ。
そこで、今回は私の一方的な上皇ご夫妻との思い出のなかから、心に残っているエピソードを、いくつかご紹介したい。なお、天皇陛下などの称号は、当時のものを使用している。(全2回の2回目/前編から続く)
河川敷から大音量で「バンザーイ!」
多くの行幸啓先を訪れ、私は写真撮影をメインに行っていたが、そのことに対する負い目を感じるようにもなっていた。特にそれを意識させられたのは、07年の滋賀県でのことだった。この日、豊かな海づくり大会に臨席された後、両陛下が船で移動されることを知り、珍しいと思って見に行ったのだ。
船は普通のフェリーで少々期待外れではあったが、車列も見ることができた。夕方、最後の行幸啓先である滋賀県立琵琶湖博物館前で待っていた時のことだった。到着された両陛下は、待ち構えていた奉迎者に笑顔で手を振って応えていた。こちらにも手を振ってもらえたと思った矢先、天皇陛下はくるっと背を向けられた。
私の周りには、一眼レフカメラを持った人が多数いて、前列を占拠していた。天皇陛下としては、撮影を目的としてカメラのファインダーを覗いている人よりも、笑顔で対面して歓迎してくれる人に応えたいとお考えなのだろうと感じた。それ以来、私はカメラを持たない奉迎者に前列を譲り、後方の目立たない場所から撮影するように心がけている。
06年に岐阜県へお越しになった際、お泊りのホテルの前で歓待行事が行われると聞き、見に行ったことがある。そこで繰り広げられていたのは、驚くべき光景だった。