被災地訪問で感じた“強い思い”
非常にレアなケースとして、現地でたまたま両陛下に遭遇することもあった。2004年10月23日、新潟県中越地方を直下型の地震が襲った。観測史上2回目の最大震度7を記録し、走行中の新幹線が脱線したり、車が土砂崩れに巻き込まれるなど、大きな被害をもたらした。発災から2週間が過ぎた11月6日、私は被災地を訪れていた。被災地を訪れる活動については、東日本大震災の記事を参照してほしい。
小千谷市で被災された方から話を聞いていた時、なんとその日に両陛下がお見舞いに来られると教えてくれた。早速、避難所になっていた小千谷市総合体育館を訪れた。
すると、それまでに見てきた行幸啓先とは全く異なり、警備にあたる警察官が全く見当たらない。私は被災者の邪魔にならないよう、体育館の中には入らず、外にいた報道陣の中に紛れることにした。
両陛下が到着され、まず驚いたのは、車列ではなくパトカーと2台のマイクロバスだけが到着したことだ。御料車が見当たらないと思っていると、マイクロバスから両陛下が下りてこられ、心底びっくりした。行幸啓先での車列や警備の状況を何度も見てきただけに、大きすぎるギャップに驚かされた。被災者を励ましたいが被災地へ負担をかけてはいけない。そんな両陛下の強い思いが伝わってくる。
避難所には、大切な人や財産をなくした人たちがたくさんいる。そんな避難所に両陛下が到着した瞬間、大歓声に包まれた。被災者は性別年齢も様々だが、笑顔であふれていた。これは奇跡なんじゃないかとさえ思った。どんなに人気のあるアイドルであっても、こうはならないだろう。
両陛下は被災者一人ひとりの手を握って声をかけ、励まされていた。ゆっくりと時間をかけて進み、私の手が届く距離にまでお越しになり、身が震えた。少数の警察官と市の職員が警備にあたっているが、ノーガードに近い。私を含め、避難所の方々はもちろんボディーチェックなど受けていない。被災者に心から寄り添おうという両陛下のお気持ちが伝わってくるようだった。
多くの現場に足を運んだことで、私は天皇皇后両陛下(今は上皇上皇后両陛下になられたが)との一方的な思い出がたくさんある。その中で見えてきたのは、陛下の思いやりと優しさの中に垣間見える毅然とした接し方であったり、美智子さまの誰に対しても満ち溢れる限りのない優しさだった。
譲位され激務から解放された今、上皇ご夫妻には少しでものびのびと健勝にお過ごしいただきたいと願っている。
撮影=鹿取茂雄
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