12月23日になると、天皇誕生日の祝日を連想する人は、今もまだ多いのではないだろうか。2019年5月1日から新元号の令和となり、天皇陛下(現在の上皇陛下)は皇太子殿下に譲位され、新たな天皇誕生日は2月23日となった。
普通に生活している限り、天皇陛下と直接的な接点などないのだが、会いたいと思えば、実は誰でも会いに行くことができる(コロナ禍の現在では、少々事情は異なるが)。もちろん、遠目に拝見するだけだが、十分に価値のある経験となるだろう。
最初に断っておくが、私は皇室ファンというわけではない。ただその場の独特な雰囲気が好きで、現在の上皇上皇后両陛下が天皇皇后両陛下だった頃、お出ましになる場によく足を運んでいた。そうしたことを20年以上続けているうちに、お二人の行動やしぐさを通して、お気持ちが少し分かるような気がしてくるから不思議なものだ。
そこで、今回は私の一方的な上皇ご夫妻との思い出のなかから、心に残っているエピソードを、いくつかご紹介したい。なお、天皇陛下などの称号は、当時のものを使用している。(全2回の1回目/後編に続く)
お召し列車を撮影するために……
はじまりは、お召し列車だった。天皇陛下などが乗車される専用列車のことをお召し列車と呼ぶ。明治時代に日本で鉄道が開業して以来、ずっと運行され続けてきた。特急型などの車両を特別に整備して運転されることが多いが、お召し列車専用の鉄道車両も存在している。国鉄からJRになった後も“一号編成”と呼ばれる客車が長らく使われていたが、2007年からはE655系電車が使われるようになり、世代交代した。
1996年10月、両毛線を一号編成のお召し列車が走った。一号編成が運行されたのは実に9年ぶりの出来事で、当時の撮り鉄たちは大いに盛り上がった。かくいう私も撮り鉄だったため、興奮を隠せなかった。運転の前日には現地入りし、場所取りのため線路脇の撮影地で夜を明かした。
前日入りはまだ甘いほうで、現地で落ち合った撮り鉄仲間は1週間の休みを取り、ウィークリーマンションを借りて沿線の撮影地などについて入念に下調べしていた。
当日、沿線を埋め尽くさんばかりの撮り鉄が集結していた。撮影地では「上司が休みくれねえって言うから仕事辞めてきた」というような会話も聞こえてくる。それだけの意気込みで集まっていたのだ。
撮り鉄と警察とのやりとり
久々の運転ということもあり、撮り鉄側も、警備側も不慣れだった。線路まで何メートルまで近づいていいのか、両陛下の目線よりも高い場所から撮影しても問題ないかなど、事前に現場の警察官に質問する人もいたが、警察官は即答できずにいた。
お召し列車の通過が1時間後に迫った頃になって、もっと線路から離れるように警察から指導が入った。一瞬、混乱するかと思ったが、周囲は一晩を共にし、鉄道談義に花を咲かせていた人ばかり。譲り合い、移動を余儀なくされた人たちを隙間に入れ込んで丸く収まった。
そして、いよいよお目当てのお召し列車が走って来た。