先導する白バイとパトカーに黒塗りの車が続き、その後に両陛下が乗られた御料車が続く。御料車の前後にも白バイ、その後にもパトカーや白バイ、マイクロバスなどが列をなしている。御料車が近づき、両陛下のお姿が見えると、歓声が上がった。車列は我々の前を通り過ぎ、小学校へと入って行った。
この時、事件が起きた。御料車の前を走っていた黒塗りのクラウンが、小学校入口を曲がりきれず歩道の縁石に乗り上げてしまったのだ。ポールをなぎ倒したクラウンは、その場から動かない。これは大変なことになったと思ったのも束の間、御料車をはじめ後続の車列は、クラウンを避け、何ごともなかったかのように小学校へと吸い込まれていった。
この時の経験が、強烈に印象に残った。山形県警のクラウンが自損事故を起こしたことはあまりにもイレギュラーな出来事なので置いておくとしても、現場の物々しさ、御料車の格式、交通規制から車列通過のタイミング、警察官の柔和な対応など、これまでに経験したことがないことばかりだった。そして、これを機にお召し列車以外にも、日本各地で両陛下の車列を追いかけるようになった。
カルチャーショックを受けた一般参賀
ついには皇居の一般参賀にも行くことになった。天皇誕生日と新年の2回、毎年一般参賀が行われ、皇族方を一堂に拝見することができる。早朝5時から皇居の前で待っていると、前後に並んでいる方々と会話も弾んだ。
そんな時間から待っているのは、大きな日の丸を携えた右翼団体の幹部や、熱心な皇族ファンぐらいだ。光線状態が良い狙い目の時間帯や、いかにして手荷物検査を早く切り抜けるかなど、ベテランたちから指南を受けた。馬に乗った皇宮警察の警官が警備にあたっていたり、警察が消防業務も担っていたりと、ここでも初めて見る風景ばかりで、カルチャーショックを受けた。
それにしても、撮り鉄が高じて自動車の御料車も追いかけるようになり、さらには皇居の一般参賀にも行くことになるとは、自分でも思ってもみなかった。
徐々に分かってきた“車列と警備のルール”
東北や島根など、各地の行幸啓先を追いかけているうちに、車列のことや警備の事情なども徐々に分かってきた。車列が通過する前、1分前、3分前のパトカーより早い段階でも、目印となるパトカーが存在する。30分前に“A”と掲げられたパトカー、10分前には“B”のパトカーがやって来る。そして車列の最後尾に“Z”のパトカー(地域によっては“C”)が通過すると、規制解除となる。