2008年に「がん哲学外来」をスタートさせた樋野興夫医師のドクターとしての本業は、病理学です。遺体を病理解剖したり、がん細胞を顕微鏡で覗く毎日の中で、対話に重きを置く「がん哲学外来」はどこから着想を得たのでしょうか。誕生した経緯を紐解いていくと、樋野先生の幼少期の記憶までさかのぼります。
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病理学は「風貌を見て心まで読む」
――インタビューの2回目では、「がん哲学外来」の目的は、「その人の個性を引き出す」ことでもあると伺いましたが、その個性はどんな風に引き出すんですか。
樋野 その人が何に悩んでいるのか、何を求めているかというのは、顔を見ればだいたいわかるんですよ。
――えっ、そうなんですか。
樋野 「風貌を見て心まで読む」。これが病理学だからね。私は若い時から、顕微鏡でがん細胞を見るか、亡くなった方の病理解剖しかしてきてないんです。がん細胞の顔つきから、さまざまな情報を読み取る。つまり、マクロからミクロを見ているわけです。「森を見て、木の皮まで見る」のが病理学者だから。
――その方の心を見る時に、何かポイントがあるんですか。
樋野 患者さんの様子から心の奥底にあるものを読み取るには、観察してるような態度では駄目なんですよ。あくまでもさりげなく、だね。そして、馬を降りて、花を見る。「相談に乗ってあげますよ」と上から目線で見るのではなく、同じ目線に立つんですよ。医師と患者ではなく、ひとりの人間として接しないと、その人の心は見えてこないね。
「私は人生の虚しさから出発しているんですよ」
――医師と患者だと、なかなか対等に話すことができない人のほうが多いですね。
樋野 それに、普通は「生」の側から人生を見ているけど、私はご遺体の病理解剖によって、常に「死」の側から「生」を見てきた。人生の虚しさから出発しているんですよ。
――「がん哲学外来」の個人面談は、先生の病理でのご経験がかなり活かされているんですね。
樋野 たしかに重なる部分が多いから、これは私が臨床ではなく、病理を専門にしていたからできたことかもしれないね。