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生物学と人間学を合体させたのが「がん哲学」

――ただ、病理の医師は、普段、患者さんやその家族と接する機会はあまりないですよね。そんな先生が、なぜ「個人面談」という発想になったんですか。

樋野 きっかけは、中皮腫という難治性がんの診断マーカーを開発していた関係で、2005年に順天堂医院に新設された「アスベスト・中皮腫外来」を3ヵ月間担当したことですね。問診で、初めて患者さんやご家族の不安や苦しい胸の内を聞くうちに、医療の現場と患者さんとの間にある「隙間」が見えてきたんですよ。それを埋めるには、同じ目線で語り合える「対話の場」があればいいと気づいたんです。

 

――それと、先生が若い頃から読んでこられた「先人たち」の言葉が結びついたと。

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樋野 いや、急に考えついたわけじゃないよ。19歳から今も続けている読書のおかげで、私は先人たちから「人間がいかに生きるべきか」という哲学、人間学を学んだんです。その後、私はがん細胞を診る病理学者になった。だから、生物学と人間学を合体させたのが、「がん哲学」なんです。

 2004年に『がん哲学』という本を刊行し、その翌年に、先ほどお話しした「アスベスト・中皮腫外来」を担当することになった。それで、2008年に「がん哲学外来」ができたわけだね。

「就寝前に30分、本を読む習慣をつけなさい」と語った恩師

――そもそも先生が先人たちの本を読み始めたきっかけは、何だったのですか。

 樋野 政治学者だった南原繁は、東京大学の総長も務めた人なんですよ。私は浪人中に、南原の教え子だったという教師と出会って、南原の思想や人となりを聞いているうちに、南原の本も読むようになった。それが始まりです。

――先人4人は、関係性が何かあるんですか。

樋野 南原が「わが師」と仰いだ人物が、新渡戸稲造と内村鑑三です。南原の後、東京大学の総長となった矢内原忠雄もまた新渡戸と内村を尊敬していたと知って、矢内原の本も読むようになったんですよ。

「就寝前に30分、本を読む習慣をつけなさい」と勧めてくれたのも、じつはこの先生なんです。それから、私は毎日1時間本を読むようになった。今でも欠かさずね。

――すごい。継続は力ですね。「がん哲学外来」から派生した「メディカル・カフェ」も、先人たちと何か関わりがあるのでしょうか。

樋野 新渡戸は、第一高等学校の校長時代に、悩める学生のために、学校の側にアパートを借りて、週に一度集まりを開いていたんですよ。矢内原は、悩める学生のために、本郷通りにカフェを作りたいと思っていた。これは、新渡戸に倣ってのことなんです。でも、矢内原は胃がんになって、志半ばで亡くなってしまった。だから、私は自分が死んだら、天国で彼らとカフェを開きたいと思っているんですよ。それが夢だね(笑)。