戦力外通告をする際に…大人になって知った「父のポリシー」
ーーお父様は、あまり業績やキャリアにはこだわらない方のようですね。
尾花 こうやって取材を受けるようになって改めて父に話を聞いたりするようになって知ったんですけど、過去の栄光にすがらない人なんだなって。過去は過去で、常に未来を見ているというか。だから、そういうものは家には置かないんだということは話していました。
選手の方々がおうちに来ることもなかったんですよ。プライベートでも関わりを持って情が湧いてしまったりすると、戦力外通告をする際に辛くなってしまうじゃないですか。それでプライベートでは関わらないと決めていたようです。
ーー尾花さんが、キャンプ入りするお父様を訪ねたりすることは。
尾花 なかったですね。姉と兄がいて、母がふたりと小さかった私の面倒を見なければいけなくて動けないのもあったし。試合に見に行くことも少なかったですね。
たまにテレビで一瞬だけ写っているのを目にして「あっ!」となったりはしました。そうやって、段々と「野球の仕事しているんだな」と知ったけど、強くは意識しませんでしたね。
毎晩、父から電話がかかってきて…
ーーでは、会う頻度は極端に少なかったと。コーチを務めていたのが小学生時代と被るわけですから、「遊びたい」とか訴えたりされませんでしたか?
尾花 地方に遠征していなければ、オフには絶対に帰ってきました。それでも週1とかになるので、やっぱり少ないとは思いますけど。生まれた時からそういう環境にいたので、家にいなくて寂しいと少し思っても、「遊びたい!」とか「なんでいないの?!」という感覚を持ったことがないんですよね。
それに、単身赴任状態だった父だけど、週1しか家に帰れない状況でも家のことや私たちのことをしっかり把握していたんですよ。
毎晩、父から電話が掛かってきて、姉や兄、私がどうしているかを母が話していました。私も代われるときは代わって話をして。学校でのことや家の様子を知っているから、家に帰ってきても普通に話が弾むんですよ。
「習い事」に関する尾花家の方針
ーー尾花さんは高校2年生までストイックにバレエに打ち込まれていたと聞いていますが、尾花家には、子供に習い事をさせようみたいな方針があったのですか?
尾花 いや、うちの教育方針としては、自分がやりたいことがあるなら好きなだけやりなさいという感じだったので。私は友達に「バレエ、どう? 習ってみない?」と誘われて一緒に教室に行ってみたら「ここにずっといたい!」と思ったのが始めるきっかけなので。「やりなさい」とか、そういうのは全くなかったですね。