昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

スターと暮らせば

「“THE 二世”なエピソードはあまりないけど…」ヤクルト尾花コーチの次女が明かす、意外な“野球選手の娘あるある”

尾花貴絵さんインタビュー #2

2021/11/14

 親が“大物”や“スター”と呼ばれる芸能人やスポーツ選手の子供たち。いわゆる“二世”は、どのような環境に身を置き、どのような思いを抱いて親を見つめ、どのようにして自身の進むべき道を見出したのか? 

 「news every.」の特集リポーター、「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターとしても知られる、モデルの尾花貴絵(29)。 

 ヤクルトスワローズの先発投手として活躍し、福岡ソフトバンクホークス(旧:福岡ダイエーホークス)のコーチや横浜ベイスターズの監督などを務めてきた尾花高夫(64)を父に持つ。 

 モデルとしてデビューした経緯、食卓に料理が30品目も並んだという尾花家の習慣、父への想いなどについて聞いた。 (前後編の後編/前編から読む) 

 

◆ ◆ ◆

自分の中で、ずっと響いている父・尾花高夫の一言

ーー芸能界に入る前は、一時はバレエ留学をするほどのめり込んでおられたとおっしゃってました。バレエをやめる際に未練は? 

尾花 それが、意外とスパッとやめられたんです。自分でもうすうす気づいていたんでしょうね。コンクールに出て、他の人との実力の差を感じていましたし。そういったものを最終的に判断したいのもあっての留学だったんです。それで、バレエを仕事にする、バレエ一本でやっていくのはやめようって。 

ーーご両親に相談されたりしましたか? 

尾花 父のアドバイスが的確なこともあって、小さい頃から母よりも父に相談することが多かったんです。家にいなかったら、電話で話を聞いてもらって。

 相談したり、会話しているなかで、父に言われた「過去と相手は変えられないけど、自分と未来は変えられる」という言葉が、自分のなかでずっと響いていて。自分が変われば周りも変わるし、自分で未来を見てどうするかを決めなさいと。失敗は起きたことでしょうがないけど、それで学んだことを次にどう活かすか。父の言葉で、そういう考え方を養っていたんですね。 

 バレエをやめようと考えて相談したら、父は「ああ、いいんじゃない」って。普段からあまり多く喋らないタイプだけど、あの時の一言にはそういった考えがすごく込められている気がしました。 

 

ーー2010年にモデルとしてデビューされましたが、高校在学中になるわけですか? 

尾花 高校3年生の夏で、18歳だったかな。カナダのバレエ留学から帰ってきた時です。母の用事について行ったら、日比谷駅で以前の事務所であるオスカープロモーションの方にスカウトしていただいて。 

 帰ったら今度は大学受験があるし、どうしようかなって考えていたんです。そこで、バレエをやっていて、体作りやそのベースになる食事には結構敏感だったこともあって、栄養士になりたいと思ったんですよ。そのための受験勉強を始めようとしたら声を掛けていただいたと。 

ーー芸能界入りに対して悩んだりは。 

尾花 最初はお断りしていました。でも、スパッと見切りをつけたはずなのに、どこかでバレエを諦めきれない自分もいたんですよ。悶々としているうちに、ふいに「あれ、芸能界ならバレエが活かせるかも」と思って。そこで踏み出せたのもありますね。