親が“大物”や“スター”と呼ばれる芸能人やスポーツ選手の子供たち。いわゆる“二世”は、どのような環境に身を置き、どのような思いを抱いて親を見つめ、どのようにして自身の進むべき道を見出したのか?
前川清の長男であるシンガーソングライターの紘毅(35)は、音楽の道を進むことに反対する父に抗うように大学でピアノとギターを学び、オーディションに挑んでデビューのチャンスを掴む。だが、ヒットに恵まれない彼に、レコード会社は父の存在を明らかにするように迫ったという。
衝突した父の助けを借りなければならなかった葛藤、二世タレントとして扱われることに対する疑問と父との関係を氷解させた恩人の存在などについて話を聞いた。(全2回の2回め/前編を読む)
会社から「お父さんに出演してもらえない?」という打診
――デビューまで1年待たされた理由は、おわかりになっていますか?
紘毅 なかなか曲が合わなかったみたいなんです。どの曲をデビューに持っていくべきかみたいな。
――でも、やめるつもりは。
紘毅 なかったです。当時は19歳とか20歳なわけですから、親父より売れると思っていましたし。a-nationのイベントに呼ばれて、「今年のグランプリ受賞者です」と紹介されて5万人の前で歌った時も「こういう舞台に立つのが当たり前になるんだな」と本気で信じていましたから。そうした気持ちには、「親父、まぁ見てな」というのがあったわけですよ。
――お父様は紘毅さんの曲をお聞きになっていたのでしょうか。
紘毅 絶対に聞かないと言っていました。母ちゃんとかが聞かせようとして流したらしいんですけど、「俺らの世代には、お前の曲はうるさい」って言われたのを覚えてますね。
――3枚目のシングル「君のいない左側」(2009年2月リリース)では “前川清”の息子であることを公表されていますが、これは紘毅さんも納得したうえでの公表だったのですか。
紘毅 いやいやいや、僕は絶対に嫌だと言いました。ただ、会社としては「カエデ」「二子玉」とシングル2枚を出したけど、ちっとも売れなくて「こいつ、どうするよ?」という感じで。
そこから「前川さんの話とPV出演、どう?」って打診されたんです。それで「それはやりたくないです」と返事したら「じゃあ、ちょっと会社に残るのは厳しいかも」となって。