「忠臣蔵」というと「どれも同じ話」と思われがちだ。
たしかに、浅野内匠頭の刃傷~赤穂藩の取り潰し~大石内蔵助以下四十七士による吉良邸討ち入り~という展開は、変わらない。だが、刃傷に至る内匠頭の心情、大石が討ち入りを決意する理由とタイミングなどの解釈は、実は作品によって異なっていたりする。
たとえばNHKの大河ドラマは過去に四回「忠臣蔵」を題材にしているが、全ての作品においてその放送当時の「現代性」を意識した新解釈が加えられ、大石・内匠頭・吉良の各人物像も、刃傷に至る背景も違っているのだ。
つまり、「忠臣蔵」は解釈の幅の広い物語ということができ、その多様性もまた、長きにわたって愛されてきた大きな要因の一つといえる。その辺りも、最新刊『忠臣蔵入門』で詳しく解説している。
今回取り上げる『四十七人の刺客』は、まさにそんな解釈の多様性を示す作品だ。
何から何まで「従来の忠臣蔵」とは解釈が大きく異なるのだが、中でも驚かされるのは大石のキャラクターだ。
通常の大石は「昼行燈」と称されるほど穏やかで柔和でいながら、その裏側でさまざまな感情を押し殺す、慎重で思慮深い人間として描かれる。
が、本作はそうではない。「今宵、吉良を殺す」という討ち入り当日のストレートな物言いに代表されるように、怒りの感情を露わにし続ける。
しかも演じるのが、高倉健。鋭い眼光にドスの利いた声――往年のヤクザ映画から抜け出してきたような、殺気をはらんだ迫力を隠さないのだ。
本作が珍しいのは、「なぜ内匠頭が刃傷に及んだのか」を吉良(西村晃)以外誰も知らない点だ。そのため大石の決起も「亡き殿の御無念を晴らすため」ではなく、私憤によるもの。ただ、それでは大義に欠けるため庶民の支持を得られないと判断した大石は、「吉良の執拗な嫌がらせのために内匠頭が刃傷に及んだ」という噂を世間に撒くのだ。
お馴染みの定説は実は大石が吉良を陥れるための罠だった――。驚愕の展開である。
「理由は後からいくらでも作れる」と言ってのけ、吉良を討つためには手段を選ばない大石はひたすら恐ろしい。一方で、吉良は「理不尽な状況に巻き込まれてしまった哀れな老人」という感すらある。特にラストの討ち入りが凄い。「なぜ内匠頭が刃傷におよんだか。そのわけを知りたいであろう。教えてやる。さすれば……」と弁明する吉良を大石は「知りとうない!」と容赦なく斬ってしまうのだ。
「王道作品」と見比べることで、「忠臣蔵」の幅広さを実感していただきたい。