約1か月ほど前に、「容疑者の過去よりも知りたいこと 『座間9人遺体事件』を読み比べる」を書いた。

 容疑者の人生よりも被害者の実情や今後の対策を書いた記事を読みたいと思ったのだ。それに加え「ネット=危険」という論調が多かったのも違和感があった。とくに、擬人化すればおじさんであろう「新聞」にそのご意見はみられた。

おじさんによる説教だけでいいのか?

 たとえばこれ。

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「異常犯罪が映すSNSの危険」(読売新聞 11月3日)。

読売新聞 11月3日朝刊 社説より

 つまりこれは「おじさんによる説教」である。

 社説の締めは、

《一時的な感情に基づく書き込みが、思わぬ危険を招く。ネット世代に周知すべき教訓である。》

 しかし自殺問題に取り組んでいる専門家の言葉が紹介されるにつれ、ネットで「死にたい」とつぶやく利点もあることを私は知った。身の周りでは打ち明けられないけど匿名で誰かと会話することで救われることもある、と。

 先週になると東京新聞が夕刊1面で、

「現状でSNSの利用を制限すれば、かえって孤立感が高まる可能性がある。まずは若者たちの声をそのまま受け止めることが大切だ」

 というコメントを載せた。若者の悩み相談などを受けている認定NPO法人代表の言葉である。

辛ければどんどんつぶやけばいいのだ

 そうか、日常がいろんな理由で辛ければどんどんつぶやけばいいのだ。そんなことを思っていると毎日新聞の生活面に特集が。

「ツイッターが産後を救う」(11月22日)

11月22日毎日新聞朝刊より

 赤ちゃんの夜泣きに悩むママたちがSNSで本音でおしゃべりをする。

「親世代や先輩ママからの『昔はこうだった』『いずれ楽になる』というアドバイスが、かえって苦しい時もあるんです。だからといって同情してもらっても何も解決しません」

「妊娠前からの友人に育児の弱音は吐けないし、現実のママ友に心配をかけるのも怖い。結局きれいごとを言ってしまい、悪い母親の自分を見せることができない」(以上、都内の会社員のコメント)

 そんなときに助かるのがツイッター。例えば夜泣きで起きたら「夜勤発生」とつぶやく。するとすぐに反応が来る。