――そういった次元像は小林さんの演技によるものも大きいと思いますが、大塚さんが演じるにあたって、どういった変化をもたらそうと思いましたか?
「変化ということは考えませんでしたね。次元を僕流に変えていくというアプローチは、間違っているような気がしたんですよ。とにかく、すでにできあがっている次元大介を写し取って、なるべく完コピできるようにしていくつもりで演じました」
――小林さんが作られた次元像を追いかける、ということですか。
「そうです。そもそも演技の完コピというのは、絶対にできないんです。演者の体の大きさ、声帯から、もっといえばその人生からして違うわけですから、似せられるとしても、まったく同じ演技にはなりえないと思うんですよ。そして、そのどうしてもシンクロしない部分こそが、2代目の次元らしさになるのではないか、と。あえて次元を作り変えていこうとするなら、誰がやってもいいわけですから」
――最初からそんなお気持ちで演じられたんですか?
「いいえ。正直、最初の頃は五里霧中、暗中模索でした。こういう種類の壁は、そうそうあることではないんですが、今回の場合は清志さん=次元のファンであるがゆえの、壁の高さだったのかもしれません。1クール目までは、演じていてよく“よし、次元をつかまえたぞ!”と思ったら“あれ? これは次元じゃない”というような感覚にとらわれていました(笑)」
――本作が発表される際に、小林さんが次元役交代にあたって「変な話だが、次元は江戸っ子だ。明夫ちゃん、これは難しいぞ。雰囲気はJAZZにも似ているんだ」というコメントを出されていました。大塚さんはその意味をどう捉えられましたか。
「僕が暗闇のなかであがいているときに、上からスッと清志さんから“ほら明夫ちゃん、これだぜ”と、救いの糸を垂らされたような感覚でした。“江戸っ子? ジャズ!? そうか!”と大きなヒントになりまして。