2021年末に自身初のフォトブック『Lalka ~偶像少女~ HINA TAKANE PHOTOBOOK』(扶桑社)を出版、さらに、NHK出演も果たすなど活躍の場を急拡大する高嶺ヒナ。

 出版にあたっての秘話や、自身が歩んできた道のり、目指す未来について話を聞いた前回記事に続き、今回はさらに親やファン、アンチを含めた過去の人間関係にまで踏み込んでいく。そこには「高嶺ヒナ」という偶像の向こう側にいる“22歳・女子大学生”のリアルな姿があった。(全2回の2回目/前編を読む)

写真=林紘輝(扶桑社)

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典型的な「いじめられっ子」だった、でも…

――ご自身の幼少期を振り返ってみて、どんな子どもだったと思いますか?

高嶺 正直言って、協調性がないタイプだったと思います。コミュニケーションが苦手で、人と関わるのも嫌いで、しかもキレるとメンドいみたいな。本を読んだり絵を描いたり一人でできることが好きだったので、やりたくもない遊びをやりたくもない人間とやるっていうことがポリシー的に許せなかったんです。

 はじめは声をかけてくれていた人も、断り続けるうちに誘ってくれなくなりました。こうなると話についていけなくなる。結果ハブられる。そこから(いじめに)発展したと思います。具体的には暴言を吐かれるとか、小5のときには「眼鏡を割られる」とか。

 眼鏡を割られたら、「はぁ?」と。そうすると、あとはお互いにケンカになって、親が出てきて……。黙って無視するというより、どちらかといえば好戦的なタイプだったと思います。

――その頃から、自分の思いを行動に移すことにためらいがなかったんですね。

高嶺 とにかく昔からすごい凝り性で、親から呆れられることもありました。3歳の七五三のときには、着物にブーツを合わせたくて泣きわめいたこともあります。赤い着物に茶色のブーツじゃないとイヤだ、みたいな。

 小学1年生のときにはリラックマが好きでオリジナルの絵本をつくったんですけど、それも本屋で見たものを真似して帯やバーコードまでつくって、表紙も水彩で描いて……とかなりつくりこんでいましたし。悪く言えば「我が強い」し、よく言えば「こだわりが強い」タイプだったと思います。