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 2006年には母と一緒に訪米し、当時のブッシュ大統領と面会しましたが、実は、日本を出発した時には面会相手は決まっていませんでした。「14時間も飛行機に乗っていけないよ」と諦めかけていたほど、母も体がきつかった。宿泊先のホテルで疲れて寝込む母の背中を私がマッサージしていたとき、在米の日本大使館から電話がきて、急遽「大統領と会えます」と伝えられました。

母は、今でもよく「私なんか何も言えないわよ」と……

横田滋さん、早紀江さん夫妻 ©文藝春秋

 そんな辛い状況の中でも、母は凜とした姿で拉致被害者の悲しみや苦しみ、解決の必要性を訴えてきました。息子の私から見ても、母は人を惹きつける力を持っている。ただ、もともと人前に出るのが得意ではない母は、今でもよく「私なんか何も言えないわよ」と言っています。

 横田家は特別な存在ではありません。母の早紀江も20年に亡くなった父の滋も、ただ家族を守りたいと強く願う、一人の親なのです。