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4月4日、朝6時前くらいに電話が鳴りました。すぐに駆けつけて足をさすっていたけれど、どんどん呼吸が荒くなっていって……。延命装置を外してもらったのを見たらたまらなくなって、「ママ!」と叫びました。そうしたら最後にパチッと目を開けて、たしかに私の方を見た。そのときに思ったの。「ああ、やっぱり他人じゃなかったんだ」って。本当の親が亡くなった気がしました。10年くらい前にママに誘われて私も熱海に引っ越したけれど、きっとこの日のためだったのね。
私、気づいたらお骨を食べていたんです
そのときは涙が出なかったけれど、お骨になったママを見たらもう止まらなくなってしまって。私、気づいたらお骨を食べていたんです。自分の一部にしておきたかったのだと思います。
安楽死を望んでいたママの理想の死。それは、「ねえ、橋田壽賀子ってどうしてるかしら?」「あの人はまだ元気よ」「いや、死んじゃったんじゃない?」「生きてるわよ」「いや、死んだね」。そんな風に言われるくらい、誰にも知られずに死ぬこと。お別れの会なんてやってしまったら本当に死んじゃったことになるから嫌、と言っていました。
こんなに喧嘩して、こんなに旅して、こんなに作品を作って……。いまでもつい電話をかけそうになるし、ママも「なんでかけてこないのよ!」って怒っているような気がするのよね。私たち、戦友だったから。