「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」など数々のテレビドラマを世に送り出してきた脚本家の橋田壽賀子さん(1925~2021)。その隣にはいつも、橋田を「ママ」と呼び慕う泉ピン子氏の姿があった。(「文藝春秋」2022年1月号より)
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ママは100歳まで生きると思っていたのになあ
ママは100歳まで生きると思っていたのになあ。亡くなる1週間くらい前、「もう誰のこともわからないと思います」とお手伝いさんに言われ、覚悟して病室へ入りました。でも、「だーれだ?」って声をかけたら、「ピン子」って言うの。ちょっと頬をゆるめて、おしゃべりもした。みんな、「そろそろかもしれない」なんて言うけれど、ママのどこがおかしいの? 全然おかしくないじゃないって腹立たしくて。
好奇心が旺盛で、世界遺産を見て回るのが好きだった。いつも「飛鳥II」に乗って、3カ月くらいクルーズの旅に出るの。「ピン子、世界行こう」ってよく誘われたけど、私はなかなか3カ月も休めないから渋ると、「もう最後になるかもしれないから」なんて言うのよ。「嘘よ、何回それ言うの。ギャラくれるならいいけど」って言ったら、「じゃあ来なくていい」。喧嘩ばかりしていました。
「渡鬼」のときもそう。セリフがあんまり長くて覚えられないから、「長い間ありがとうございました」って言ったら、「もう、あんたとは絶交」って。「絶交だ!? 上等だよ」と思って、半年間くらい電話にも一切出なかった。それまで30年以上、毎日電話してたのにね。そうしたら、さすがのママも焦ったみたいで、TBSの人から「先生が謝っています」と連絡をもらいました(笑)。