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「私、気づいたらお骨を食べていたんです」泉ピン子が語る橋田壽賀子さん〈安楽死を望んだママの理想の死は…〉

source : 文藝春秋 2022年1月号

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ

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悩んだときはママが“相談所”になってくれていた

 ママがこの世に遺していったものはお金や名誉じゃなく、やっぱり数々の作品だと思う。「おしん」なんて60カ国以上で放送されて、世界中から愛されている。私はおしんの母親役で出演していたから、ママとクルーズに行くとよく、乗り合わせた海外の方から「おしんマザー!」と声をかけられました。「あんたはいいわよね、映ってるから。書いているのは私なのに」って、ママはいつもふてくされてたけど(笑)。

「おしん」の再放送をたまたま2人で観たときは、たがいに自画自賛。「私の芝居、よかったなぁ」「いやあ、台本がよかったね」って。「あんたの芝居、いまはよくないよ」とか言われながら一緒に笑ったな。

 悩んだときはママが“相談所”になってくれていたから、これからどうしろっていうのよねぇ。

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「私は二流。だからあんたも二流でいなさい」

泉ピン子氏

「決して、一流になろうだなんて邪な考えを持っちゃいけないよ。二流でいなさい。そうすれば、一流を目指してがんばれるから」。ママはよくそう言っていました。「私は二流。だからあんたも二流でいなさい。その方が疲れないよ」と。

 私は三流だけど、2019年に旭日小綬章をもらったときにはママが泣いていた、とあとから人づてに聞きました。「本当に、あの子はよくがんばった」って。「おしん」がなければ、私の俳優人生は始まってもいなかった。ママにお返しができたのは、それだけかな。